劇界の凶年とされる明治10年も秋となり、これからは世の中の景気も立ち直り、芝居は不況を乗り越え、いよいよ繁盛すると皆が喜びはじめたが、10月になって総師格であった五世坂東彦三郎が大阪において46歳の役者盛りで没した。 彦 […]
続きを読むデン助参上!起て浅草(下)大宮敏光|月刊浅草ウェブ
~舞台裏~ 今日もまた〽おいらデン助江戸ッ子だい、のレコードで幕が開く。 不思議なもので、31年もこのデン助を演って来ているが、未だに飽きないと云うのはやはりこのデン助が好きなのだろうか・・・、イヤーやはり […]
続きを読む【川端康成「浅草紅団」完結】北條誠(作家)|月刊浅草ウェブ
川端康成先生の「浅草紅団」の転載が、ついに終った。昭和47年6月号、通巻等18号から昭和50年12月号、通巻等60号まで。43回の連載である。よくぞ続いたものと、ふりかえって感慨が深い。 「浅草紅団」は、昭和4年(192 […]
続きを読む【川端康成先生と浅草誌】織田邦夫(月刊浅草編集長)|月刊浅草ウェブ
私が鎌倉の川端先生宅を訪問したのは、昭和45年の2月、北風の寒い日でした。浅草誌の題字を先生に依頼して、先生より「書けました」と電話を戴き、約束の時間を決めての鎌倉訪問。「浅草誌の看板に、ぜひ川端先生に「浅草」の題字を執 […]
続きを読む「箱長」日本家屋にもマンションにも!幅広い層に愛される桐工芸品<第20回>まい子のぶらり散歩。
第20回「箱長(はこちょう)~桐工芸専門店~」 今回は、桐工芸専門店「箱長」を訪れ、3代目・宮田新司さんにお話を伺いました。浅草オレンジ通り商店街振興組合の理事長も務める宮田さん。抜群の行動力で思い描いた夢や理想を次々と […]
続きを読む「美濃国にて」心と表現<第18回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ
5月31日、私は夕方の新幹線で名古屋へ向かった。在来線に乗り換えて30分、大垣駅に着いたのは8時少し前、駅前のホテルにチェックインして明日からの準備に入った。前持って送ってあった特大のスーツケースが2個、手持ちのそれと合 […]
続きを読むあさくさ交遊録<第8回>稲川實|月刊浅草ウェブ
吉村先生の『吉原酔狂ぐらし』(三一書房・1990年)に、「酔狂連赤線忌」という項がある。「戦前ならぬ線前の人間にとって、赤線の灯の消えた3月31日という日は、やはりなにかと感慨深い。春浅きこの日、かの赤線といえるものの容 […]
続きを読む猿若三座〈第3回〉絹川正巳|月刊浅草ウェブ
拍子木のことを略して〈木〉または〈析〉(読み:き)という。 開幕の鳴り物に合わせて木をチョンチョンと次第に早めにきざんで幕があいていく。 開幕の時も、幕切れの木頭(きがしら)を主演者のイキに合わせ、舞台の効果をこわさぬよ […]
続きを読む「昭和20~30年代・浅草六区の主要劇場」蘇る当時の喧騒!<第36回>浅草六区芸能伝|月刊浅草ウェブ
東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第36回>「昭和20~30年代・浅草六区の主要劇場」 前回は、明治~大正時代に六区興行街に建築された劇場のお話でしたね。関東大震災で倒壊の憂き目に遭 […]
続きを読む岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第8回>|月刊浅草ウェブ
○びんぼうしょう ある日の朝日新聞の「折々のうた」に【夕がほや/物をかり合ふ/壁のやれ】という俳句が取り上げられていました。 昔の金沢の俳人・堀麦水の作で、筆者の大岡信氏の解説によれば「<やれ>は敗れた所、夏 […]
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