「劇場の裏側ツアー・浅草演芸ホール編」フランス座時代の痕跡を見つけに!<第37回>浅草六区芸能伝|月刊浅草ウェブ

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東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第37回>「劇場の裏側ツアー・浅草演芸ホール編」

前回は、昭和20年代~30年代を中心に、浅草六区興行街を賑わせた主要な劇場を、地図も交えながら紹介しましたね。最盛期には実に30数件にも及ぶ各種劇場が軒を連ね、その1つつが、独自の味を持ち、固定ファンが付き、また、流動的なお客さんや演者、従業員同志が行き交うことで、この街は知らず知らず、相互に支え合い、繁栄していたのです。当時の私にとっては当たり前の日常のひとコマで、時に煩わしくさえもあった(笑)あの喧噪も、今となってはただ懐かしいばかりではなく、記録しておくべき浅草芸能史の大切な断片だと思い至りました。
そこで、今後何回かに分け、個々の劇場の歴史について、興味深いエピソードとともに様々な角度からご紹介してゆきたいと思います。

さて、まずは、どこからゆきましょう?…もちろん、わが小屋から始めるのがのが筋でしょうね(笑)。とはいえ、フランス座開場以来の細かな経緯や変遷については、これまでも度々触れてきましたので、その辺りはざっと流すことにいたしましょう(笑)。
今回はちょっと趣向を変え、私自らが案内人となり、(若いスタッフでは、もはや説明出来ないような歴史の産物がたくさんありますからね、笑!)この連載の担当記者さんと一緒に、浅草演芸ホール内に今も残るフランス座時代の足跡を辿ってみるという、面白い企画を考えてみました。

浅草フランス座は、昭和26年に開場、昭和34年、39年、平成12年に三度のリニューアルを経て、今日の浅草フランス座演芸場東洋館に至りますが、館内には、現在使用されているか否かは別として、建設当時のまま保存されている部分も数多くあります。
ここで美しい踊り子たちが本格派生バンドの演奏に合わせて華やかに舞い、浅草芸人たちが客席と一体になって爆笑を巻き起こし、その舞台の影では、多くの裏方さんが右往左往しながら、1つの空間を作り上げていた…想像するだけで、なんだワクワクしませんか?

さぁ、それでは〈劇場の裏側ツアー〉スタートです!

>次ページ「フランス座に通い詰めていた文豪・永井荷風も入っていたという、なかなか貴重なお風呂!」

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浅草演芸ホール

【浅草演芸ホール】浅草唯一の落語定席 明治17年から続く浅草笑いの伝統!

浅草演芸ホールは、鈴本演芸場(上野)、新宿末廣亭、池袋演芸場とならぶ、東京の「落語定席」のひとつです。
「落語定席」とは、1年365日、休まずいつでも落語の公演を行っている劇場のことで「寄席(よせ)」とも呼びます。
昭和39(1964)年のオープン以来、10 日替わりで落語協会と落語芸術協会が交互に公演を行っています。
落語のほかにも、漫才、漫談、コント、マジック、紙切り、曲芸、ものまねなど、バラエティーに富んだ番組をご用意しています。
昼の部と夜の部は、原則として入替えがありませんので、お好きな時間においでになって、心ゆくまで「演芸」をお楽しみいただけます。
萩本欽一やビートたけしなどを輩出した、お笑いの殿堂「浅草演芸ホール」に、是非一度お越しください。


浅草演芸ホール〜公式ページ