東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第23回>「神田松之丞(かんだまつのじょう) ※現神田伯山」 前回は落語を取り上げましたが、今回はさらにディープな世界へご案内!戦国時代に発祥したと […]
続きを読むあさくさ交遊録<第2回>稲川實|月刊浅草ウェブ
吉村平吉先生は、大正9年(1920年)8月3日、赤坂区一ツ木町66番地(現・赤坂四4丁目)で、父吉村末吉、母タキの長男として生まれた。まさに、いいところのお坊っちゃんである。吉村先生の生い立ちについては、改まって質問した […]
続きを読むつれづれの記<第3回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ
山形生れの芸人︑伴淳三郎︵明治41〜昭和56)がズーズー弁で喩える。森繁久弥は老舗の旦那さん。フランキー堺がレストランの支配人なら、俺は大衆食堂の主人で煮っころがしの味だず……。 芸界入りは関東大震災後の17歳。新劇に入 […]
続きを読む「沢 竜二(さわ りゅうじ)」の波乱万丈俳優記<第7回>月刊浅草ウェブ
<其ノ七~名優・森川信と運命の出逢い~> 名古屋のキャバレーで三波春夫の『俵星玄蕃』を歌い終えた私を客席に呼び出した人物は、映画『男はつらいよ』シリーズの初代おいちゃん役で有名な俳優・森川信だった。さすがは名優、一人離れ […]
続きを読むポポ君の浅草散歩<第5回>原えつお|月刊浅草ウェブ
新型コロナウィルスを、笑いで吹き飛ばしましょう!! ※作品の無断使用・転載を固くお断りします。
続きを読む「はなし塚」ものがたり<第5回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
昨秋九月東京落語家全員は國家新体制に即應し五十三種の落語禁演を自粛協定して職域奉公の實を舉げたり… 地下鉄銀座線田原町駅近く、長瀧山本法寺(台東区寿2-9-7)の境内に立つ「はなし塚」裏面の碑文である。上野か […]
続きを読む「津軽の休日」心と表現<第5回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ
北海道新幹線が開通し、約1ヶ月が過ぎた4月下旬、私は青森へ向けて東京を出発、あと数日でゴールデンウィークに突入と云う、平日の午後の車内だったが、思いの外混んでいた。秋田ゆきのこまち号と、函館北斗ゆきはやぶさ号は、盛岡で切 […]
続きを読む「公式!浅草演芸ホールの楽しみ方・要注目の噺家たち!」<第22回>浅草六区芸能伝
東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第22回>「公式・浅草演芸ホールの楽しみ方」 前回は、大正時代に一世を風靡した浅草オペラを取り上げましたね。大衆芸能というのは、まさに生き物。パッと […]
続きを読む「川口待月堂」これぞディープな浅草。観音裏で風流人に愛され続ける祝儀袋・ぽち袋の百年店<第5回>まい子のぶらり散歩|月刊浅草ウェブ
№5「川口待月堂(かわぐちたいげつどう)~名入れ祝儀袋・ぽち袋専門店~」 浅草寺の裏手に広がる観音裏は、かつて花街として栄華を極めたエリア。今もその情緒を色濃く残すこの界隈には、観光客で賑わう雷門通りとはまたひと味違う、 […]
続きを読む「沢 竜二(さわ りゅうじ)」の波乱万丈俳優記<第6回>月刊浅草ウェブ
<其ノ六~歌の師匠・船村徹と幻のデビュー曲~> 船村徹先生との出逢いは、旅役者として隆盛を極めていた時代に遡る。その頃の私はロカビリー剣法で人気が爆発し、九州・関西地区でNo.1の集客力を誇っていた。しかし20代も半ばを […]
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