東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第31回>「益田喜頓(ますだきいとん)」 前回は、ロック座・フランス座の広告物全般を製作してくれた宣伝部員たちの物語でした。我が社に来る前は浅草花月 […]
続きを読む岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第2回>|月刊浅草ウェブ
おおみそか/われとわが身に命令す/愚痴や泣き言/ゆめ口にすな 自分が好きで選んだ独り暮しだから、ちっとやそっと不自由があったからと言って甘えたり訴えたりするなよと、昭和56年12月31日こんな歌を作った。そしてひとり、そ […]
続きを読むポポ君の浅草散歩<第10回>原えつお|月刊浅草ウェブ
「この人の歩くところには落語会ができる」と言われました名物・素人落語家(本人は、晩年は。小噺家と言っていました)の酔々亭珍太(すいすいてい・ちんた)さんが亡くなりました(令和2年8月24日)。・・・ ※作品の無断使用・転 […]
続きを読む「浅草うな鐵」鰻をもっと気軽に、どなたにも!本格派ながら工夫溢れる名店<第13回>まい子のぶらり散歩|月刊浅草ウェブ
第13回「浅草うな鐵(あさくさうなてつ)~鰻専門店~」 今回は、伝統的な江戸前のうな重はもちろん、ここでしか味わえないオリジナルメニューが魅力の「浅草うな鐡」。落ち着いた雰囲気の本店、下町情緒たっぷりの国際通り店、それぞ […]
続きを読む「お吟さま・始末記」心と表現<第11回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ
その日は、旧暦十三夜だった。今年は9月15日が十五夜、そして10月13日が十三夜と、誠に解りやすい暦となっている。古来より、満月の十五夜と十三夜、両方を見る事を二夜の月と云って、中秋の月を愛でる習慣が、日本人の心の中に根 […]
続きを読むあさくさ交遊録<第3回>稲川實|月刊浅草ウェブ
若き日の吉村平吉先生が、浅草六区にのめり込んでいった頃のことは、あまり多くは語っていないが、私はこの時代が、先生の原点だと思っているので、興味もあり、一番知りたいところである。『吉原酔狂ぐらし』(三一書房)の「プロローグ […]
続きを読む浅草四方八方噺(よもやまばなし)<第3回>松井天遊|月刊浅草ウェブ
浅草に限らず日本全国の繁華街、商店街でいつの時代でもみられるのは世代交代、栄枯盛衰、有為転変であろう。浅草もここ数年でずい分と様変りしている。一番困るのは、行きつけのお店がなくなることである。片手をあげるだけ、軽く会釈を […]
続きを読む「星合林三」「堀和久」浅草フランス座の立役者・宣伝部員たちの足跡<第30回>浅草六区芸能伝
東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第30回>「星合林三(ほしあいりんぞう)」「堀和和久(ほりかずひさ)」 「月刊浅草」2020年8月号のなかに、懐かしい名前を見つけました。「ひょうた […]
続きを読む岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第1回>月刊浅草ウェブ
改年オメシトウゴイス(あけましておめでとう) おやじが甲州笹子トンネルの工事を請負って一家を挙げて山梨県東山梨郡観瀬村に移住する。そこで私は尋常小学1年生となる。荒れ果てた神社がそのまま校舎として使われている。トンネル開 […]
続きを読むポポ君の浅草散歩<第9回>原えつお|月刊浅草ウェブ
コロナはおさまるどころかアジアからヨーロッパへ、そしてアメリカへ、そして・・・ ※作品の無断使用・転載を固くお断りします。
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