「浅草はなぜ日本一の繁華街なのか」を読んだ。著者は、すき焼き「ちんや」6代目の住吉史彦氏。浅草生まれ浅草育ちの9人の方との対談集(晶文社、1,600円+税)で、住吉さんは聞き手である。近世をふり返って浅草は、大正12年の […]
続きを読む浅草紙ここにありき<第11回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
「昔、吉原のそばに紙漉(す)き場があって、紙屋の職人が紙を水に浸して、待っているのが退屈だから紙の冷やける間、ひと回りまわろうってんで゛冷やかし〟という名前がついたんですな」 古今亭志ん生師匠の『二階ぞめき』では゛冷やか […]
続きを読む「深見千三郎、阿部昇二、町田金嶺」伝説の芸人から、浅草オペラのスターまで!<第41回>浅草六区芸能伝|月刊浅草ウェブ
東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第41回>「深見千三郎・阿部昇二・町田金嶺」 前回(第40回)掲載した、昭和37年・熱海つるやホテルでの東洋興業社員・役者・芸人・踊り子総勢120人 […]
続きを読む浅草誌半世紀・名随筆の足跡<第2回・渋谷天外「蛇骨湯の路地」>|月刊浅草ウェブ
浅草で半年あまりゴロゴロしていたのが、関東大震災のその前年というのだから、話はだいぶお古い。 住いは蛇骨の横の路地のつきあたりの弁当屋の2階、6畳と4畳半の2間で、映画館の帝国館や大東京の学士連中と合わせて5人の同居生活 […]
続きを読む浅草誌半世紀・名随筆の足跡<6回・真鍋元之「観音経とカレーライス」>|月刊浅草ウェブ
知合いの出版社を出ると、その足で上野の広小路へまわっていった。久しぶりに鈴本か、本牧亭のどちらでもいい、のぞいてみるつもりだった。が、合憎なことに鈴本は開場までに、まだ一時間もあり、本牧亭はその日、休席である。仕方がない […]
続きを読む【浅草文庫講演会の記録】<第3回>原えつお|月刊浅草ウェブ
~『浪曲と浅草』より・桃中軒 雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)③~ ◆『浅草文庫』は、浅草観光連盟が昭和52年に設立した、浅草に関する文献やさまざまな資料が収蔵された私設図書館でした。(平成23年、惜しまれつつ閉館。 […]
続きを読む「常磐堂雷おこし本舗」江戸時代末期より浅草の歴史とともにある老舗中の老舗!<第25回>まい子のぶらり散歩。
第25回「常磐堂雷おこし本舗(ときわどうかみなりおこしほんぽ)」 今回は、言わずと知れた浅草一有名なお菓子屋さん「常盤堂雷おこし本舗」雷門本店を訪れ、加藤武良店長、林譲次長(2017年3月時点)にお話を伺いました。一瞬た […]
続きを読む「お吟さま・三味」心と表現<第23回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ
会津平野は、正に黄金の波が押し寄せているようだった。幾度となく訪れている、福島県喜多方市だったが、考えてみれば収穫期の繁忙に当る、この時期だけはこれまで記憶が無い。従ってこの風景は目にしていなかったのだが、目を瞠る程美し […]
続きを読むつれづれの記<第10回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ
伝法院通り鎮護堂前「酒井好古堂」は仲見世に本店を構える明治3年創業の美術商である。シャッターに浮世絵を制作する北斎漫画の依頼があり、版木を彫る職人を描いた。工房の壁に葛飾北斎の冨嶽三十六景『凱風快晴』。凹凸画面に隙間とい […]
続きを読む国際通りの対決<第10回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
「煩悩の裏は菩薩の大音寺」と古川柳に詠まれた浄土宗の古刹、正覚山大音寺は国際通り沿いの台東区竜泉1丁目にある。通りの向かいには、毎年酉の市で賑わう鷲(おおとり)神社。その背後に、かつて広がっていたのが〝煩悩〟の地、吉原遊 […]
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