浅草といえば観音さま。観音さまというと鳩の豆売りのおばあさんが思われる。下町育ちのわたしの古いアルバムには観音さまの境内で鳩に豆をやっている写真がある。たぶん二歳くらいだろう。赤と思える麻の葉模様のしぼりのきものを着て、 […]
続きを読む永井荷風
「中清」浅草公会堂前の別世界!数寄屋造りの個室で上質な時間を。<第26回>まい子のぶらり散歩。
第26回「中清(なかせい)~天麩羅店~」 今回ご紹介するのは、浅草公会堂の真正面に店を構える創業147年目の天婦羅店「中清」。通りの喧噪にくるりと背を向けた瞬間、そこには別世界のような静けさが広がります。さぁ、時代の暖簾 […]
続きを読む「劇場の裏側ツアー・浅草演芸ホール編」フランス座時代の痕跡を見つけに!<第37回>浅草六区芸能伝|月刊浅草ウェブ
東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第37回>「劇場の裏側ツアー・浅草演芸ホール編」 前回は、昭和20年代~30年代を中心に、浅草六区興行街を賑わせた主要な劇場を、地図も交えながら紹介 […]
続きを読む岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第5回>|月刊浅草ウェブ
○出世欲 石川啄木に「ひとがみなわれよりえらく見える日よ、花を買い来て妻と楽しむ」(ウロ党え)という意味の歌があります。私も、新聞や雑誌を見ながら、芸界に限って見ても、何というたくさんの芸人芸術家が活発に仕事をしているこ […]
続きを読む浅草四方八方噺(よもやまばなし)<第4回>松井天遊|月刊浅草ウェブ
浅草は日本一の繁華街といわれている。とくに雷門から宝蔵門までの仲見世通りは、四六時中ではなく二六時中よりも短いか、とにかく大変な賑わいぶりである。ア ーケードになっている新仲見世通りもそれに準じて人通りが多い。六区、国際 […]
続きを読む「オペラ座の怪人」つれづれの記<第4回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ
明治18年から130年間、六区の「臍」と呼ばれる「公園六区交番」。昨年6月街の歴史を踏襲するアールデコに衣替えすると、それに呼応するかにドン・キホーテ・まるごと日本・東洋興業は渥美清・伴淳三郎・ビートたけし・永井荷風ら浅 […]
続きを読む今はむかし竹屋の渡し<第4回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
「銀杏がえしに黒襦子かけて泣いて別れたすみだ川…」 昭和12年、東海林太郎が発表した「すみだ川」の歌い出し。佐藤惣之助作詞、山田栄一作曲「あゝそうだったわねえ……」と入るせりふは田中絹代で、のちに美空ひばりや島倉千代子も […]
続きを読む「永井荷風」フランス座の名付け親!浅草と踊り子をこよなく愛した文豪<第16回>浅草六区芸能伝|月刊浅草ウェブ
東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第16回>「永井荷風(ながいかふう)」 今回のテーマは文豪・永井荷風。荷風先生といえば、東洋興業とは切っても切れない深いご縁の人物。「フランス座」の […]
続きを読む「松倉宇七氏」の上京で始まる!焼け跡からの芸能伝<第1回>浅草六区芸能伝
東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館・浅草演芸ホール) 松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第1回>「プロローグ」月刊浅草ウェブ “笑う門には、福来る”の言葉どおり、水や空気と同じくらい、日々の生活の中に笑いは必要不可欠で […]
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