第2回「田中憲治(たなかけんじ)~画家・画工~」 今回は本誌「月刊浅草」の巻頭連載『あさくさ つれづれの記』の筆者としてもお馴染み、田中憲治(けんじ)さんです。 バラエティに富んだ話題と綿密な取材、ユーモアあふれる独特な […]
続きを読むあさくさ「つれづれの記」<第1回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ
〽おぼろづくよか薄墨か絵に描くさまの待乳山 ほのかに霞む春の宵、音無川の流れの果てに、隅田川とあまり水位が変らない山谷堀は澱むでもなく静かに流れ、河口に竹屋の渡しと呼ばれる桟橋が浮いている。待乳山聖天の堂字 […]
続きを読む『月刊浅草』50周年・600号記念座談会<後編>|月刊浅草ウェブ
~座談会参加者~【執筆者】田中けんじ、稲川實、熊澤南水、松井天遊、袴田京二、原えつお【発行人】小島博心【編集人】織田邦夫、高橋まい子 【前編】では、浅草の老舗と新興店の現状、コロナ対策に伴う街の変化、「映画の街・浅草」の […]
続きを読む『月刊浅草』50周年・600号記念座談会<前編>|月刊浅草ウェブ
~座談会参加者~【執筆者】(写真下段左より)田中けんじ、稲川實、熊澤南水、松井天遊(上段左より)袴田京二、原えつお【発行人】(上段右)小島博心【編集人】(上段中央右)織田邦夫、(下段右)高橋まい子
続きを読む犬も歩けば像が立つ<第1回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
「最近の犬は、毛糸の固まりみたいなのが歩いてますね。あの毛を一本引っ張ったら、犬がなくなっちまうんじゃないか」古今亭志ん生という人のセンス、間(ま)の取り方、声の張り具合(「毛糸の固まり……でやや低い調子になる)も含めて […]
続きを読むあさくさ交遊録<第1回>稲川實|月刊浅草ウェブ
吉村平吉先生は、昭和18年(1943)23歳の時に召集され、中国大陸に転戦している。兵科は「主計」(経理)で、位階は聞き漏らしたが、下士官だったという説もある。吉村先生が敬慕してやまなかったエノケン劇団の文芸部員、菊谷栄 […]
続きを読む「聖天さま」心と表現<第1回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ
平成3年の新年号からスタートした拙文「心と表現」が、300号を迎えることと相成った。この間一度も欠号することなく、産みの苦しみで7枚の原稿用紙を、送り続けられた事だけが、唯一の自慢ではある。平成元年に一年間だけ……と云う […]
続きを読む「沢 竜二(さわ りゅうじ)」の波乱万丈俳優記<第1回>月刊浅草ウェブ
<其ノ一~プロローグ・前編~> “昨日はもうない。明日はまだない。せめて今日一日を、頑張って生きましょうや。”これは、私が大切にしている言葉。終わったことを後悔したり、まだ起こりもしない不安に苛まれても、何も始まりはしな […]
続きを読む「松倉宇七氏」の上京で始まる!焼け跡からの芸能伝<第1回>浅草六区芸能伝
東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館・浅草演芸ホール) 松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第1回>「プロローグ」月刊浅草ウェブ “笑う門には、福来る”の言葉どおり、水や空気と同じくらい、日々の生活の中に笑いは必要不可欠で […]
続きを読む浅草四方八方噺(よもやまばなし)<第1回>松井天遊|月刊浅草ウェブ
浅草のお正月行事の一つに「聖天さまの大根まつり」がある。7日午前11時半〜午後1時半、待乳山聖天境内参道で毎年行われており、大勢の参詣者が訪れる。最初に行われたのは昭和49年(1974年)というから歴史がある。由来は次の […]
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