「言葉の力」心と表現<第15回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ

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月刊浅草ウェブ

〝ひとつのことばに励まされ
ひとつのことばで傷ついた
ことばは魔物!
使い方ひとつで、毒にもなれば薬にもなる〟

学校公演の折りに、私は必ずこのことばを、子供達に贈る。「色紙に書いて、送って下さいませんか」、校長先生に頼まれ、下手な筆でその都度書き送って来た。
「あの子の側へ行けば、ズーズー弁がうつる」
子供達の何気ないひと言に、12歳の私がどんなに傷ついていたか、それは誰も知らない。口を利いて貰えない淋しさがどんなものか、体験した人でないと決して解らない。あの時、失語症になっても、又、登校拒否児になっていても、不思議ではなかった。
しかし、津軽のじょっぱり根性を身に付けていた私は、それを逆手に取ったのである。
「よし、ことばで笑われいじめられているのなら、将来ことばで生きてみよう」
中学に入った頃から、自然にある習慣が身に付いた。
それは、気になることばに出合うと、ノートに書き移して置くと云う事である。俳句でも短歌でも、映画の宣伝文句でも、偉人のことばでも、それは手当り次第と云ってもいいのである。

>次ページ「目を前に見て、心を後に置け、先人の教えに学ぶ事は大である。」

改めて繙(ひもと)いてみると、それらは全て名文と言われている箇所であった。何が私の心を捉えたのか、良く解らないが強いて言えばリズムではないだろうか。
「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これや七草」
中学生の頃、暗記した春の七草は、この心地よいリズムのお陰で、今でもはっきり覚えている
「萩の花、尾花葛花、なでしこの花、女郎花また藤袴朝顔の花(山上憶良)」
この秋の七草は、春に比べればリズム感は無いが、序(つい)でに覚えた一首である。
「この世の名残り夜も名残り。死に行く身をたとうれば、あだしが原の道の霜。一足づつに消えて行く。夢の夢こそあわれなれ。あれ数うれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残るひとつが今生の、鐘の響きの聞き納め」
近松門左衛門作「曽根崎心中」を題材にした映画の、宣伝文に使用されていた一節である。中学生の私が、この文章の持つ意味を、何処まで解っていたか、それは謎である。唯、心地良いリズムに引かれたのだろう。
面白いのは次の文章である。
「月も朧に白魚のかがりも霞む春の空冷てえ風もほろ酔いに心持ちよくうかうかと浮かれ烏の
ただ一羽塒へ帰る川端で棹の雫か濡れ手で粟思い排けなく手に入る百両ほんに今夜は節分か……」
戯作者河竹黙阿弥の「三人吉三・廊の初買」、お嬢吉三の名台詞である。
これなど正しく声に出してこそ生きるリズムである。歌舞伎を観た事の無い当時の私は、この物語の情況は何ひとつ知らない。でも〝こいつァ春から縁起がいいわぇ〟、と見栄を切っていたのだろうか。
心に止った文章を、書き写しておく癖はその後も続いている。新潮社から毎年売り出される「マイブック」は、誠に重宝なアイテムである。400頁近くある文庫本で、中身は全て白紙になっている。一年が終る頃には、世界でたった一冊の貴重な自分史になっているのだ。
手許に有るそれらを繙くと、その年の世相が見え隠れする。
〈さくらだといふ╱春だといふ╱一寸、お待ち╱どこかに╱泣いてる人もあらうに〉
大正期の詩人、山村暮馬の⽝桜⽞と云う詩の一節である。彼は伝導師として東北地方の町々を転任した経歴を持つと云う。巨大地震で被災した東北の人々に贈る、心からの挽歌のように思えてくる。
どんないい言葉も、一回聞いただけでは心に残らない。今の世の中情報は次々と入ってくる。頭では解ったつもりでいても、結局身体の中を通り過ぎているだけで身に付かない。だから、何かに書き止めて置く。
そして、時々眺めては再確認する。そのくり返しで、やっと自分の血となり肉となるのである。
「坐辺師友(ざへんしゆう)」、これは北大路魯山人のことばである。(自分が座する周囲は、皆、師であり、友である)
私は縁と云うものを、とても大切にしている。魯山人のことばを借りれば、出逢った人は皆、前世から縁のある人、大切な人なのだと思うようにしている。だからこそ、逢わせて頂いたのだと……。
〈人の世は、縁の糸のからみあい、たぐる幸せ、また不幸せ〉
誰方が詠んだのか解らないが、こんな短歌うたも書き写されていた。
「夫婦とは、一生涯の修業の相手、師になったり、弟子になったり」
2013年の「マイブック」に書き止めてあった文章、何んとも頷けることばである。時々眺めては、己の修業の未熟さを嘆いているのだが……。
「人間の心は、意識の支配下にあり、その意識は言葉に支配されている」
医学博士、佐藤富雄先生のことばである。(文字を読むだけでなく、繰り返し言葉に発することによって、人に自分の考えを話すことによって意識となり、人生を動かしていく)
似たような意味だが、もう随分前に耳にしたことばが、私は忘れられない。
「心が変われば行動が変わる。行動が変われば環境が変わる。環境が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」
ごもっとも……と、思わず唸りたくなる名言である。
つまり、心そのものが全てを支配しているのだ。
「稽古とは、一より習い十を知り、十より帰るもとのその一」
千利休の残してくれたことばは、常に私の心の中に生きている。これでいいと云う事は絶対に無い。原点に戻りながら、又、修業を積もう。
「離見の見」、世阿弥の名言である。
自分自身の姿を、離れたところから見ているもう一人の自分を、意識の中に持つ事の大切さ、「目を前に見て、心を後に置け」、先人の教えに学ぶ事は大である。

熊澤南水 プロフィール
朗読家。
1941年東京生まれ。小学6年生のとき青森県西津軽から東京に移り、そこで津軽なまりを笑われたのが言葉へのこだわりの第一歩だった。
40歳のころ、偶然手にした一本のテープ、朗読家 幸田弘子さんが語る樋口一葉の十三夜が心に新たな、風を吹き込み、言葉への想いをつのらせた。以来、俳優 三上左京氏指導のもと、“南水ひとり語り”を全国各地で繰り広げている。
浅草の洋食ヨシカミの元女将が語りの世界で彩る。
◉女優 吉永小百合さんとともに下町人間庶民文化賞を受賞
◉文化庁芸術祭大衆芸術部門優秀賞を受賞

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