【伝統は守るだけでなく、変えていかなくては続かない】こやたの見たり聞いたり<第24回>月刊浅草ウェブ

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〜大ヒット商品を生み出した老舗和菓子屋のセオリー〜

皆さんは、「切腹最中」を知っているだろうか。大正元年創業の和菓子屋「新正堂」の大人気商品で、ピーク時には、1日1万1072個売れたこともある。パリパリっとして香ばしい皮から、でっぷりとしたお腹のようにはみ出す美味しいあんこがたまらない。あんこの中には求肥が入っていて、食べる人を2度、3度と驚かせてくれる贅沢な一品だ。「切腹最中」という衝撃的な名前は、忠臣蔵で有名な浅野内匠頭が切腹をした田村邸の屋敷跡にお店を構えていることに由来している。「お詫びのお菓子ランキング」で、とらやの羊羹を抜いて堂々一位を獲得したこともある。今回は、そんな「切腹最中(せっぷくもなか)」の考案者であり、新正堂(しんしょうどう)の現会長である渡辺仁久(よしひさ)さんをご紹介する。

渡辺仁久さんは、愛知県に生まれた。将来は服飾デザイナーになりたくて、デザイン学校に進学し、そこで奥様と出会った。

実はこの奥様が和菓子屋・新正堂の娘さんだったのである。奥様に「実家の和菓子屋を継いでほしい」と言われた時、「惚れた女が喜んでくれるなら」と和菓子屋を継ぐ決心をした。早朝から夕方まで新正堂で働き、夕方からは夜間の製菓学校に通って学んだ。渡辺さんは「若かったからできたことです」と言うが、誰にでもできることではない。新正堂の社長を引き継ぎ、数年後に義父が亡くなった時、「何か自分のお菓子を作らなくてならない」と危機感に近いものを感じた。そんな時、お客様からの「日持ちがするお菓子も作ってほしい」という声を思い出し、最中を作ろうと考えた。

元々デザイナー志望だった渡辺さんのクリエイティブな思考・能力は、ここで発揮された。「これまで誰も作ったことがない和菓子を作る」ということと、新正堂だからできることを掛け合わせた時、お店の場所が浅野内匠頭が切腹した地であることにちなんで、「切腹最中」という言葉が脳裏に浮かんだ。みんなに「不謹慎だ」「縁起が悪い」と大反対され、お義母さんも「お父さんが生きていたらさぞかし悲しんだだろう」と言って泣いた。そして、発売開始から数年間「切腹最中」は売れなかった。

ある日、日興証券の方がいらっしゃって、「部下が仕事で二千万円の損失を出してしまって今からお客様に謝りに行くのだが、手土産にちょうどいいお菓子はないか」と尋ねた。渡辺さんは、「『自分の腹は切れませんが、代わりにお菓子が腹を切っております』と言って切腹最中を差し上げてはいかがですか」と勧めたら、購入してくれた。

後日、「切腹最中のおかげで、お客様が笑って許してくれました」と嬉しそうに報告に来たという。そんな話があちこちで取り上げられ、大手航空会社や百貨店でも取り扱っていただくようになり、「切腹最中」はみるみるうちに大ヒット商品へと成長していった。

切腹最中がヒットした理由は、単にネーミングが面白かっただけではない。もちろん味が美味しいからだ。そして今も、現状に甘んじることなく「もっと美味しくするにはどうしたらいいだろうか」と考え続けている。日本人の多くは「手作り」とか「昔からの変わらぬ味」という言葉に弱いけれど、機械で作った方が衛生的で、従業員の負担も軽減できて、安心・安全であると考えた。

一般の和菓子屋さんでは、1日に80個〜200個売れれば上出来だが、新正堂は機械化を導入したことによって、1日4000〜5000個は安定的に作って売れるし、多い日で1万個以上を売り上げた時もあった。あんこの炊き方も大きく変えた。伝統的な和菓子屋の製法では、小豆を一晩水に浸けるのが常識だが、ある講演会で最近の小豆は農家さんの品種改良の努力のおかげもあって、「直火炊き」の方が小豆の旨みを逃さず、香りも風味もコクも豊かな美味しいあんこができると知った。

お客様は正直なもので、製法を変えてから「美味しい」というお言葉が増え、売り上げが大きく跳ね上がった。皮も、上質の米粉に変更し、上顎にくっつかないように水分量を減らして改良した。今は息子さんに社長の座を譲ったが、「切腹最中をやめたって構わない。自分のお菓子を作ってほしい。」と言う。  

常に最先端であり続けるというのが新正堂の「伝統」なのかもしれない。年末の忠臣蔵シーズン、赤穂浪士たちに思いを馳せながら、切腹最中を召し上がってみてはいかがだろうか。お客様の「美味しい」という言葉を目指して努力し続ける和菓子屋の夢と情熱がたっぷりと詰まっている。

「新正堂」ウェブサイト

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【記事の投稿者】
麻生子八咫(あそう こやた)

プロフィール 1985年生まれ。幼少期より父・麻生八咫の活弁の舞 台を見て育つ。 10歳の時に浅草木馬亭にて活弁士としてプロデ ビュー。2003年には第48回文部科学大臣杯全国青 年弁論大会にて最優秀賞である文部科学大臣杯を受 賞。2015年日本弁論連盟理事に就任。2016年麻生 八咫・子八咫の記念切手発売。2020年3月東京大学 大学院総合文化研究科博士課程を満期退学。 著作には、『映画ライブそれが人生』(高木書房、 2009)麻生八咫・子八咫共著がある。劇中活弁、方言活弁、舞台の演出・脚本、司会等、さまざまな舞台 活動を行う。英語公演にも力を入れており、海外で はアメリカ、カナダ、韓国などでの公演などがある。
月刊浅草副編集長

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