岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第7回>|月刊浅草ウェブ

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○紙治あれこれ

このところ「小春、治兵衛」に縁がある。一中節の菅野(すがの)の会は、新内にもあり私も好きで演奏する『おその六三郎』を一中節で聴くのが楽しみで出かけたのだけれど、それとはベツに『小春』も聴く。更に、この会で何番もの三味線を弾いた序和師匠が特に記憶に残ってー

【春燈下/序和喜無心の/撥さばき】ぶんや

【一中節/聴いて帰りの/春の雨】〃

都(みやこ)会でも聴きましたー

一いま「小春髪結の段」を語る、〽所詮この世はかりがねの恋に憂き身を投げ島田、覚悟きわめし心ねを主になにとぞつげの櫛ーとぞ、三味線は都一いき師匠なり

【紅少し注して音締めも涼しくて】ぶんや

そのあと鈴木正八氏から頂いたテープで一いき、一中師匠のそれ、私が保存の一つや、一中師匠のそれも聴き、そしてそれから道頓堀の朝日座、近松座結成第一回公演「心、入梅前というのに近所の路地に黄菊が咲いている。明治生まれの私は菊というと11月3日の天長節を思い出すのですが近頃は文明の中天綱島」(扇雀、藤十郎)です。ふだん殆ど芝居を見ていない私だから只々面白く心惹かれました。わが畑にちなんで言えば義太夫の熱演に好感が持てたし、とりわけ指導格と見える鶴沢英治師匠の、大袈裟とも言いたい表情身振りある大熱演に感激、心からの拍手を送りたく思いました。

○ある日の演奏愚悪なり

声嗄れてみじめな芸となり果てぬ臨終の如く寂しかりけり

声嗄れてみじめな芸となり果てしこの寂しさは告ぐる人なし

声嗄れて笑われぐさとなりけるや三千世界にわれひとりぼち

○セリフだの合方だの

新内の指導者を自認する師匠が邦楽の雑誌に講義を連載しています。「明烏」の講義のなかで「・・・長いセリフですね」「そうです、」そして新内流しの合方に入るがこの合方が大変むずかしいーとある。芝居はセリフですが義太夫や新内の場合はセリフでなく詞(コトバ)であることを無視しないで下さい。新内流しの合方が常識として入るのは芝居出語りの場合に限りま素浄るりには絶対無用です。「大変むずかしい」などと入れることを常識化していますがどんな短いコトバにもすぐに流しを入れるのは近頃のバカの一つ覚え、笑止の沙汰です。流しの始まったのが文献資料はないけれど化政以降と推定されます。それ以前の古曲に流しを入れたら時代のズレで純古曲の味が無くなります。私もレコードや放送でお愛想程度の意味で使ったこともありますがこれは心得ての上です。指導者が堂々と「明烏」に新内流しの合方をと教えるのは論外のこと、尚近頃きかれなくなったクドキの、その一部が小照のレコードにあり大好評とのことなれどその一部、現在みんなやっているではないですか、私のところでも初心者の門人やっています。新内人に「力がないのでカットされそのままオクラ」というのは言い過ぎでしょう。尚「明烏」は段物ではなく端物(ハモノ)ですから「部屋の段」とは言いません。私も若い頃この間違いを繰り返しましたからこの点放送や演奏会には厳しく「指導」しているのですが皆さん余り気にしてくいれない。指導者としては正確を期して下さい。

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