忠治「鉄—。」巖鉄「へい。」忠治「定八。」定八「なんです。親分。」忠治「赤城の山も今夜を限り。生れ故郷の國定の村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の手めえ達とも、別れ別れになる首途(かどで)だ。」定八「そう云ゃなんだか […]
続きを読む袴田京二|懐かしの浅草芸能歩き
見返り柳に思いを馳せて<第13回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
「土手の柳は風任せ好きなあの子はくちまかせええしょんがいな……」現在は改修されて自動車が行き交う、土手のない「土手通り」を歩いた時、ふと「大江戸出世小唄」(湯浅みか作詞、杵屋正一郎作曲。歌詞は藤田まさとの変名)の一節が浮 […]
続きを読む残照・吉原衣紋坂<第12回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
朧夜やまぼろし通ふ衣紋坂 子規 坂道の多い江戸、東京にあって、隅田川沿いの浅草は低地で名のある坂が少ない。その中で、正岡子規の句に詠まれた衣紋坂はかつて日本堤と吉原遊郭唯一の出入り口、大門(おおもん)を結ぶ道として知られ […]
続きを読む浅草紙ここにありき<第11回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
「昔、吉原のそばに紙漉(す)き場があって、紙屋の職人が紙を水に浸して、待っているのが退屈だから紙の冷やける間、ひと回りまわろうってんで゛冷やかし〟という名前がついたんですな」 古今亭志ん生師匠の『二階ぞめき』では゛冷やか […]
続きを読む国際通りの対決<第10回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
「煩悩の裏は菩薩の大音寺」と古川柳に詠まれた浄土宗の古刹、正覚山大音寺は国際通り沿いの台東区竜泉1丁目にある。通りの向かいには、毎年酉の市で賑わう鷲(おおとり)神社。その背後に、かつて広がっていたのが〝煩悩〟の地、吉原遊 […]
続きを読む浅草沢正伝【熱唱篇】<第9回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
「動乱渦巻く京洛に、立てた誠の旗印。幕末に散った武士(もののふ)の心誰か知る、あゝ新撰組!」 かつて浅草公園通りにあった〝新国劇ファンの酒処〟沢正の店主、町内の座長こと平野泰之さんのよく通る声が響く。曲は「加茂の河原に千 […]
続きを読む人情吾妻橋<第8回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
「五十両の金を懐にしっかりとしまい込んで大門を出まして、見返り柳を後にして、道哲を右に見て︑聖天の森を左っ手に見て山之宿から花川戸、左へ曲がる吾妻橋……」博奕で身ぐるみ取られて八ツ口の開いた女房の着物に身を包み、トボトボ […]
続きを読む浅草沢正伝【町内の座長篇】<第7回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
「芸能の町、浅草では今月も新国劇の名作公演が行われています」と、こんなナレーションがテレビから流れてきた。昭和59年9月、関東地方で放送されたNHKの番組と記憶している。画面には浅草公会堂前のオレンジ通りに、幟(のぼり) […]
続きを読む浅草・ラグノオの店<第6回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
秋の落ち葉か。勢いよく最後の旅路を土とともに朽ちてゆく。末期の恐れをかくして、あくまでも品よく、無雑作に散ってゆく……。エドモン・ロスタン原作『シラノ・ド・ベルジュラック』より楠山正雄訳、額田六福翻案の戯曲「白野弁十郎」 […]
続きを読む「はなし塚」ものがたり<第5回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
昨秋九月東京落語家全員は國家新体制に即應し五十三種の落語禁演を自粛協定して職域奉公の實を舉げたり… 地下鉄銀座線田原町駅近く、長瀧山本法寺(台東区寿2-9-7)の境内に立つ「はなし塚」裏面の碑文である。上野か […]
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