見返り柳に思いを馳せて<第13回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ

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「土手の柳は風任せ
好きなあの子はくちまかせ
ええしょんがいな……」
現在は改修されて自動車が行き交う、土手のない「土手通り」を歩いた時、ふと「大江戸出世小唄」(湯浅みか作詞、杵屋正一郎作曲。歌詞は藤田まさとの変名)の一節が浮かんできた。
一九三五(昭和十)年、同名映画(大曽根辰夫監督)の主題歌を主演の高田浩吉(一九一一~九八)が自ら歌ってヒットし、〝歌う映画スター〟の草分けとなる。艶のある、軽快な歌声で題名も〝大江戸〟。また、上野・黒門町の伝七が活躍する『伝七捕物帖』といえば中村梅之助主演のテレビシリーズはもちろんだが、それ以前(一九六八年)に高田浩吉が扮した伝七親分も颯爽として、十手・捕り縄さばき(投げ縄のように使う)が鮮やかだった。
そうした印象から関東出身とも思えるのだが、高田浩吉の出身地は兵庫県尼崎市。自活のため大阪商業高校を中退して松竹下加茂撮影所の研究生となるが、しばらくの間は仕出し(端役)のほかスタッフの作業も手伝う日々を過ごしたという。当時の映画界はサイレントからトーキーへの移行期ということもあり、関西訛りで舞台経験のない青年俳優はなかなかチャンスに恵まれなかった。しかし、せりふのハンデを克服するため小唄の稽古に励んだことなどが功を奏し、演技と歌で頭角を現していった。
映画『大江戸出世小唄』は吉原が舞台で、レコードのB面(カップリング曲)もズバリ「見返り柳」。歌詞に出てくる〝土手の柳〟も、遊郭の前にあった見返り柳と考えられる。
その柳の木は、「吉原大門」交差点の角に立っている。傍らの台東区教育委員会による説明版には「京都の島原遊郭の門戸を模したという。遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、このあたりで遊郭を振り返ったことから〝見返り柳〟の名があり……」と記されている。さらに「かつては山谷堀の土手にあったが、道路や区画整理に伴い現在地に移され、数代にわたり植え替えられた」とあるとおり、当初は土手の上に植えられていた。なお、現在の木は六代目とする説もある。柳の木は水に強く、土にからまるように根を張るので護岸のためにも用いられるようだ。

明暦の大火(1657年)後、日本橋近くから移転した遊郭を「新吉原」と呼んだ。

ちなみに、交差点から少し離れた山谷堀公園の地方(じがた)橋跡近くの案内板に錦絵の「新吉原衣紋坂日本堤」が掲示されており、その中には確かに〝土手の見返り柳〟が描かれている。
「見返れば意見か柳顔をうち」などの川柳、落語や樋口一葉の「たけくらべ」など多くの作品で描かれているこの柳は、作家の吉村平吉著「吉原酔狂ぐらし」(ちくま文庫)にも終戦後、昭和二十四年頃の思い出として次のように登場する。
「まだ当時は、現在のシェルのガソリンスタンドのところ、つまり見返り柳のすぐ傍らの場所に、焼けただれねじ曲った〝新吉原大門〟のアーチ鉄柱の残骸が不様に立っていた」この近くに、平吉先生行きつけの飲み屋があった。何度かお目にかかる機会に恵まれた先生だが、まだまだお話が聞きたかった—。
そう思いながら見上げる柳に今年も緑の葉が繁り、枝は風の吹くままに揺れていた。

「吉原大門」交差点の角に立つ見返り柳。

(写真/文:袴田京二)

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