人情吾妻橋<第8回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ

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「五十両の金を懐にしっかりとしまい込んで大門を出まして、見返り柳を後にして、道哲を右に見て︑聖天の森を左っ手に見て山之宿から花川戸、左へ曲がる吾妻橋……」博奕で身ぐるみ取られて八ツ口の開いた女房の着物に身を包み、トボトボと左官の長兵衛が大川(隅田川)を渡ろうと吾妻橋へさしかかる。吉原を出る客が名残りを惜しんだという大門前の見返り柳も、娘のお久が自ら身売りしてこしらえた大金を思えば見上げるどころではなかったろう。

人情噺「文七元結」は、プロの間で大ネタといわれる。江戸っ子の言葉で元結は〝もっとい〟と読む。代々名演が続き、現在も語り継がれているが冒頭に引用したのは古今亭志ん朝師匠のもの。集金した五十両を盗られたと思い込み、橋から身を投げようとする日本橋横山町の鼈甲(べっこう)問屋、近江屋の手代・文七を助けた長兵衛は悩んだ末、懐の金を叩きつけるように渡して去る……。「道哲」は浄土宗西方寺の俗称。小塚原で処刑される囚人や、吉原で亡くなった女性を懇ろに弔った僧の名、あるいは寺男だったとの説もある。関東大震災後に豊島区巣鴨へ移転したが、大門を背にして山谷堀の右側にあった。そのまま進めば今戸橋を過ぎて大川端だが、長兵衛は手前を右に折れて待乳山聖天を左に見ながら山之宿(現在の浅草七丁目あたり)と花川戸を抜け、吾妻橋西詰へ出る。自宅の長屋がある本所だるま横丁(墨田区吾妻橋)まで、いま少し歩かなければならない。年の瀬の、寒風身にしみる頃の物語だ。

>次ページ「小気味良い語り口に人柄が鮮やかに浮かぶ、古今亭志ん朝落語の真骨頂」

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