昭和12年日中戦争の勃発は不穏な先行きを暗示させる。そんな世相をよそに浅草では7月国際劇場が華々しく開場した。笠置シズ子は大阪少女歌劇団の一員(のちのSKD)として上京、ターキー(水の江滝子)らと共演するが、出色の素材と […]
続きを読む田中けんじ|あさくさ「つれづれの記」
「オペラ座の怪人」つれづれの記<第4回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ
明治18年から130年間、六区の「臍」と呼ばれる「公園六区交番」。昨年6月街の歴史を踏襲するアールデコに衣替えすると、それに呼応するかにドン・キホーテ・まるごと日本・東洋興業は渥美清・伴淳三郎・ビートたけし・永井荷風ら浅 […]
続きを読むつれづれの記<第3回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ
山形生れの芸人︑伴淳三郎︵明治41〜昭和56)がズーズー弁で喩える。森繁久弥は老舗の旦那さん。フランキー堺がレストランの支配人なら、俺は大衆食堂の主人で煮っころがしの味だず……。 芸界入りは関東大震災後の17歳。新劇に入 […]
続きを読むつれづれの記<第2回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ
~天才・ビートたけしをはじめ多くの芸人を育て、【浅草の師匠】と慕われた伝説の浅草芸人・深見千三郎とその姉・美ち奴にまつわる秘話~ ♪空にゃ今日もアドバルーンさぞかし会社で今頃は…… 今から80年近く前、全国津々浦々に流れ […]
続きを読むあさくさ「つれづれの記」<第1回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ
〽おぼろづくよか薄墨か絵に描くさまの待乳山 ほのかに霞む春の宵、音無川の流れの果てに、隅田川とあまり水位が変らない山谷堀は澱むでもなく静かに流れ、河口に竹屋の渡しと呼ばれる桟橋が浮いている。待乳山聖天の堂字 […]
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