つれづれの記<第2回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ

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月刊浅草ウェブ

~天才・ビートたけしをはじめ多くの芸人を育て、【浅草の師匠】と慕われた伝説の浅草芸人・深見千三郎とその姉・美ち奴にまつわる秘話~

♪空にゃ今日もアドバルーンさぞかし会社で今頃は……

今から80年近く前、全国津々浦々に流れる歌謡曲「ああそれなのに……」は小さな子供までが唄うヒット曲だった。
作詞はサトウハチロー〈ペンネーム星野貞志〉作曲古賀政男、唄うはウグイス芸者浅草〝美ち奴〞、少し鼻にかかった個性的な歌声は一世を風靡し、日中戦争勃発の昭和11年(1930年)に発売され、翌12年前半だけで50万枚が売れた。気を良くしたテイチクは黄金コンビに杉狂児を加え、日活映画の主題歌「うちの女房にゃ鬚がある」をデュエットで吹き込めばこれもメガヒット!
歌謡界を席捲する勢いだった。ところが余りの人気に好事魔多し、いつしかねたみを誘発する。曲ばかりか美ち奴の声までを誹謗中傷したのである。
「美ち奴の鼻にかかった歌声はエロ味を発散し欲情を喚起させる。それで人気を獲得したのはけしからん!善良な民衆に腐心感を与え子供の教育にも悪影響を及ぼしかねず、時局の精神にも反する悪しき曲である」
何んとも手の込んだこじつけだが、一部の新聞が投書を掲載すると同調者を煽り問題化に発展する。
監督官庁の内務省は当初気にしなかった。ところが徐々に騒ぎが大きくなり、社会問題化するに至って動かざるを得なくなる。
実は事前に出版法にもとずき、レコードの内容を内務省が可否をチェックし、問題なしと発売を許可していた。その経緯から改めての取り締りは表沙汰にできない。そこで非公式にレコード会社に対し、自発的に原盤の破棄を申し入れるとともに、美ち奴に対しては欲情を喚起させる恋愛ものは吹き込まないように求め、ラジオについては逓信省が放送を禁じて一件落着とな った。テレビ放送以前であり軍国の靴音が響く時代ゆえ押えが効いた。検閲官もお役所勤めの身、自身の立場を守り、責任を回避する構図は昔も今も変らない。
美ち奴は納得いかない。「親から貰った天声がエロだなんて、重大な人権侵害ですわ!私に鬚があったなら……カンカンである怒

だが、お上には逆えない、そこで「軍国の母」・「霧の四馬路」と国威宣揚に協力する姿勢を示して人気を保 った。
戦後は国家による検閲はなくなり、ツーレロ節・炭坑節と艶声復活、ファンも心をくすぐる彼女の歌声に擦りこまれていたのである。
久保染子(のちの美ち奴)は、大正6年北海道浜頓別に生まれる。父百合太は中村玉二郎の芸名で歌舞伎一座を率いる旅役者だった。浜頓別で公演した時、地元で呉服屋を経営していた姉が将来を案じ、知り合いの木工所の娘との結婚をすすめ、一座を解散して世帯を持つ。生れた長女が染子で三人の弟がいた。だが百合太は旅役者の性格から落ちつけず、やがて時代の潮流新天地「樺太」に渡ってしまう。残された染子は高等小学校を卒業と同時に浅草で芸者屋「美ちの家」を営む従姉妹のもとで世話になった。そこで父親ゆずりの「歌舞音曲」の才能が評判となる。15歳の時美声売れっ子芸妓となり、19歳にして「象潟2丁目(現在浅草3丁目)に芸者屋、「染美ち奴」を構えてしまった。
「染美ち奴」の評判はやがてレコード会社の知るところになり争奪戦が始まる。ウグイス芸者「美ち奴」として昭和八年キングレコードからデビュー。日東レコードと続き昭和11年テイチクから発売された「ああそれなのに」が大ヒットにつながったのである。
美ち奴の名声は樺太にも伝わった。長姉の華やかな活躍に末弟の七十二は色めき立った。一向に芽の出ない樺太に見切りをつけ、父と別れ染子を頼って状況する。飛ぶ鳥も落とす勢いの姉のもとで青春時代を浅草で謳歌し、やがて芸能一族の血がメラメラと燃え上り、姉の紹介で片岡千恵蔵に弟子入り、浅草に戻ってからはオペラ館で修業。その後一座を旗揚げ、昭和33年にはロック座に入りやがて座長となる。後年由利徹をして「あの人こそ典型的な〝浅草芸人〞と云わしめた「深見千三郎」である。昭和46年東洋興業はフランス座の興業を深見に任せた。浅草六区ならではの芸の実力、若手芸人の育成など興業の再生を彼に託したのである。
〝カチッカチッ〞タップを思わせる靴音。粋なダブルスーツが六区に現われると、コーヒー屋のマスター、小屋主・席亭が〝イヨッ!〞と声をかける。軽く笑みを返しフランス座の前で足踏みをする。
〝師匠!お早うございます。〞エレベーターがさっと開き「トゥ、トゥ、トゥ、タタッ!ツタンツ、タン、タン!」フレッドアステアばりの軽快なステップで迎える北野武。昭和47年深見に心酔した彼は弟子入り修業中。徹底的に深見千三郎の芸を学んだ。3ヶ月後「こいつ、ホネがあるな」と舞台に放り出した。深見に突っこまれオタオタしながらアドリブ連発!
弟関係が始まった。
やがて天賦の才能が華開き、日本から世界へ
第一人者に磨きがかかるのはご存知の通りである。

(田中けんじ, 2016年)

田中憲治 デザイン事務所「レタスト」http://www.letterst.jp/profile/index.html

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