額に汗して〝エッチラホッチラ〟リヤカーの絵瓶が揺れている。街頭に絵を描いて十五年、アーチやサインポール、シャッター壁画と百枚近くになっている。「何んのため?」勿論食わんがため、まして絵が好き、そして生きる実感達成の一時( […]
続きを読む見返り柳に思いを馳せて<第13回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
「土手の柳は風任せ好きなあの子はくちまかせええしょんがいな……」現在は改修されて自動車が行き交う、土手のない「土手通り」を歩いた時、ふと「大江戸出世小唄」(湯浅みか作詞、杵屋正一郎作曲。歌詞は藤田まさとの変名)の一節が浮 […]
続きを読む猿若三座〈第6回〉絹川正巳|月刊浅草ウェブ
七段目の「お軽」を扱った小唄をひとつ。 〽吊灯篭の明かりに照らし、読む長文を二階から、余所の恋よと延鏡、かざすはずみに顔と顔間男があるなら添わしてやろうせめて三日と手を取って、九ツ梯子かるがると身請けされる […]
続きを読む「年中行事」心と表現<第26回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ
東京に4年ぶりの大雪が降った2日後、私は28年目を迎えた沖縄へと旅立った。20センチを越える積雪があった為、まだ道の端には雪が残っており、天候も不順なので予定通り飛行機が飛ぶだろうか、と内心ヒヤヒヤしながら家を後にしたの […]
続きを読む残照・吉原衣紋坂<第12回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
朧夜やまぼろし通ふ衣紋坂 子規 坂道の多い江戸、東京にあって、隅田川沿いの浅草は低地で名のある坂が少ない。その中で、正岡子規の句に詠まれた衣紋坂はかつて日本堤と吉原遊郭唯一の出入り口、大門(おおもん)を結ぶ道として知られ […]
続きを読むつれづれの記<第11回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ
隅田河岸橋場通り、見上げれば橋場渓谷と呼ばれるマンション群。人影は寂しくも浅草への車の流れは忙せわしない……。区の人口三分の一が住む北部地域はこれまで開発の手が入らず、交通不便も相俟って台東区のチベットと揶揄されることも […]
続きを読む浅草誌半世紀・名随筆の足跡<5回・山手樹一郎「娯楽のふるさと」>|月刊浅草ウェブ
私は子供のころ道灌山の東がわ、日暮里村の村外れに近いあたりに住んでいたので、道灌山へのぼるといつでも東南の南寄りのほうに浅草の十二階が見えた。そのころは三河島村から入谷あたりまでずっと田圃つづきで、高い建物などは一つもな […]
続きを読む浅草誌半世紀・名随筆の足跡<4回・高沢圭一「女剣劇と私」>|月刊浅草ウェブ
おかしなことなぞ、いくらも世の中にあるが、いまでも解らないことのひとつ・・・。ある日、大阪の何劇場だったか忘れたが、このたびはご多忙中を態々と私の劇を観ていただき、花まで贈っていただいて有難う・・・という意味の手紙を貰ら […]
続きを読む【浅草文庫講演会の記録】<第5回>原えつお|月刊浅草ウェブ
~『浪曲と浅草』より・桃中軒 雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)⑤~ ◆『浅草文庫』は、浅草観光連盟が昭和52年に設立した、浅草に関する文献やさまざまな資料が収蔵された私設図書館でした。(平成23年、惜しまれつつ閉館。 […]
続きを読む「辻むら」観音裏の情緒に浸り、極上の素材と確かな味を安心価格で!<第27回>まい子のぶらり散歩。
第27回「辻むら(つじむら)~ふぐ・すっぽん・懐石料理~」 今回ご紹介するのは、ふぐ・すっぽん・懐石料理の「辻むら」。極上の素材と確かな味を下町ならではの良心的な価格でご提供する、観音裏の名店です。鍋料理はもはや、冬だけ […]
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