朧夜やまぼろし通ふ衣紋坂 子規 坂道の多い江戸、東京にあって、隅田川沿いの浅草は低地で名のある坂が少ない。その中で、正岡子規の句に詠まれた衣紋坂はかつて日本堤と吉原遊郭唯一の出入り口、大門(おおもん)を結ぶ道として知られ […]
続きを読むつれづれの記<第11回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ
隅田河岸橋場通り、見上げれば橋場渓谷と呼ばれるマンション群。人影は寂しくも浅草への車の流れは忙せわしない……。区の人口三分の一が住む北部地域はこれまで開発の手が入らず、交通不便も相俟って台東区のチベットと揶揄されることも […]
続きを読む浅草誌半世紀・名随筆の足跡<5回・山手樹一郎「娯楽のふるさと」>|月刊浅草ウェブ
私は子供のころ道灌山の東がわ、日暮里村の村外れに近いあたりに住んでいたので、道灌山へのぼるといつでも東南の南寄りのほうに浅草の十二階が見えた。そのころは三河島村から入谷あたりまでずっと田圃つづきで、高い建物などは一つもな […]
続きを読む浅草誌半世紀・名随筆の足跡<4回・高沢圭一「女剣劇と私」>|月刊浅草ウェブ
おかしなことなぞ、いくらも世の中にあるが、いまでも解らないことのひとつ・・・。ある日、大阪の何劇場だったか忘れたが、このたびはご多忙中を態々と私の劇を観ていただき、花まで贈っていただいて有難う・・・という意味の手紙を貰ら […]
続きを読む【浅草文庫講演会の記録】<第5回>原えつお|月刊浅草ウェブ
~『浪曲と浅草』より・桃中軒 雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)⑤~ ◆『浅草文庫』は、浅草観光連盟が昭和52年に設立した、浅草に関する文献やさまざまな資料が収蔵された私設図書館でした。(平成23年、惜しまれつつ閉館。 […]
続きを読む「辻むら」観音裏の情緒に浸り、極上の素材と確かな味を安心価格で!<第27回>まい子のぶらり散歩。
第27回「辻むら(つじむら)~ふぐ・すっぽん・懐石料理~」 今回ご紹介するのは、ふぐ・すっぽん・懐石料理の「辻むら」。極上の素材と確かな味を下町ならではの良心的な価格でご提供する、観音裏の名店です。鍋料理はもはや、冬だけ […]
続きを読む「人生100年時代」心と表現<第25回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ
政府の新たな看板政策、「人づくり革命」の具体策を話し合う会議が発足して、3ヶ月が過ぎた。高齢化、長寿社会の真只中に居る身としては、どうしても目が離せない。何代も続いてきた老舗のご主人に、〝秘訣は何んですか?〟と問うと、口 […]
続きを読む浅草四方八方噺(よもやまばなし)<第7回>松井天遊|月刊浅草ウェブ
浅草の五月晴れの空に鯉幟を散見することができた。そこで5月の木馬亭では「こい」にまつわる話、カカオポリフェノール、五月病について話した。落語のマクラに使われる小咄。総武線に小岩という駅がある。この周辺にはお寺が沢山あるが […]
続きを読むあさくさ交遊録<第10回>稲川實|月刊浅草ウェブ
吉村先生は、『吉原酔狂ぐらし』の中の「区会議員選挙病」で、こんな風に語っている。 「われながらナンセンスな軽演劇的人生を送ってきたものだと思うのだが、そのもっとも象徴的なハチャメチャのハイライトが昭和46年の台東区議会議 […]
続きを読む「沢 竜二(さわ りゅうじ)」の波乱万丈俳優記<第17回>月刊浅草ウェブ
<第17回~巨匠・稲垣浩監督とともに消えた幻の無法松~> あれは、渋谷仁丹ビルの芸能人御用達バー『ドンキホーテ』で、可愛がっていた太地喜和子と飲んでいた時のこと。酒豪で知られる喜和子が、自分よりも飲める女を紹介するという […]
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