【新派の誕生】 川上音二郎が堺市の卯の日座で、川上書生芝居の旗揚げをしたのは、明治二十四年であった。音二郎の目的は、東京公演にあったから、ちくじ東上、六月には浅草鳥越の中村座に乗り込み、初御見栄の公演にこぎつけた。 興行 […]
続きを読む吉原あれこれ<第3回>野一色幹夫(のいしきみきお)|月刊浅草ウェブ
《われ、十六才の初陣は……。》 —いまの吉原は、まったく『つわものどもの夢のあと』といった感が深い。赤線地帯ならぬトルコ地帯みたいに、トルコ風呂のネオンが明るく、その影に添うごとく旅館に転向したかつての女郎屋が、対象的に […]
続きを読む「祭典のあと」心と表現<第27回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ
史上最多、92の国と地域から2925名が参加し、熱戦を繰り広げた第23回冬季オリンピックが閉幕した。極寒の韓国平昌での大会は、2月9日に開幕15の競技、102の種目で連日盛り上がり、感動的なシーンの数々に心を揺さ振られた […]
続きを読む浅草四方八方噺(よもやまばなし)<第9回>松井天遊|月刊浅草ウェブ
浅草おかみさん会の富永照子会長の笑顔を久しぶりNHKのニュースの画面でおみかけした。都知事候補の一人・小池百合子さんを囲んで談笑しているシーンであった。 その小池百合子さんが見事当選。7月31日午後8時の投票締切り時には […]
続きを読む吉原あれこれ<第2回>野一色幹夫(のいしきみきお)|月刊浅草ウェブ
―さて、戦後になると、女性解放で〝籠(かご)の鳥〟の悲哀もなく、明るい赤線吉原となり、〝自由女郎〟—いや、特飲店の接客婦がキャア、キャア、客を呼ぶようになった。哀愁がひとつの情緒となったそのかみの、吉原のムードは一変した […]
続きを読む浅草四方八方噺(よもやまばなし)<第8回>松井天遊|月刊浅草ウェブ
浅草には、笑いの伝統がある。流行りの言葉でいえば「レジェンド」である。「笑いの殿堂」もある。浅草演芸ホール、東洋館、木馬亭、ゴロゴロ会館。このほかにも大小様々な施設ができている。浅草公会堂では漫才大会が開かれたり、喜劇が […]
続きを読むあさくさ交遊録<第12回>稲川實|月刊浅草ウェブ
「ヨソ者とはいえ、戦前からずうっと浅草底辺部に生きてきて、277票とはナサケない。それも野坂さんとか永さんとかの人気者に応援してもらったのに、この程度ではまったく面目ない。と、舞台に上った高揚感醒めやらず、役者の素質のな […]
続きを読む吉原あれこれ<第1回>野一色幹夫(のいしきみきお)|月刊浅草ウェブ
「―オジさんたちァ、ウマくやったよなァ…。だって、そうじゃないか。浅草で生まれて育ったンだから、吉原は近いし…サ、安く、手軽に遊べたじゃないか。シャーワセだよ」 若いひとたちによくそういわれるが、吉原をはじめとするもろも […]
続きを読む「竜小太郎」芸に滲み出る人柄も魅力。浅草が生んだ大衆演劇界の星!<第28回>まい子のぶらり散歩。
第28回「竜小太郎(りゅう・こたろう)~俳優~」 今回は、浅草が生んだ大衆演劇界のスーパースター・竜小太郎さん。主演舞台千秋楽の楽屋へお邪魔し、貴重なお時間を頂戴してのインタビューとなりました。めまぐるしい忙しさの中嫌な […]
続きを読むあさくさ交遊録<第11回>稲川實|月刊浅草ウェブ
第一回の立候補に際し、有権者に送り付けられた公認葉書が、数葉遺されているので、ぜひご披露させていただきたい。(写真参照) 「さまざまに移ろいゆく世のならいなれど隅田に映す月の影さえ心なし汚臭をにじませて、今僅かに残るは、 […]
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