浅草三話<第2回>瀬戸口寅雄(せとぐちとらお)|月刊浅草ウェブ

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【忘れ得ぬ人と品】

本箱の中の整理をしていたら、ほこりをかむったインキ(インクとも云う)スタンドが出てきた。三十年も前、木村錦花(きんか)先生から贈られたものだが、壊れてしまってからも、捨てるのが惜しくて、本箱の中に大事にしまっていたものだ。

昭和のはじめ、鶯亭金升さんに連れられ、松竹におられた木村錦花先生に会って以来、可愛がってもらった。観音さんに参詣に連れて行ってもらって、区役所通りのアンヂェラスやメトロ横丁のボンソワールで食事のご馳走になったが、コーヒーの美味は忘れられない。錦花先生が浅草に住んでおられることを知ったのは、ずっとずっと後のことである。

仲見世の通りをはさんで、東側が交番、北側が雷おこしの常盤堂で、浅草寺の総門、風雷神門(雷門)をくぐると、仲見世になる。雷門から仁王門までは、美事な石畳になっているが、この石畳は十六列に並んでいて、幅一尺、長さ三尺と云われる石の数は、誰がかぞえたか知らないが、六千八十枚あったと云う。観音様の歴史から三社さま、久米平内兵衛長守の平内堂遠くは江戸の昔、堺屋のおそで、蔦屋のおよしなどの一枚絵で有名な美人揃いの歌仙茶屋はこのあたりだろうと、教えて下さったのも、錦花先生であった。

昭和十二年、私は「裁かれる人々」を出版したが、錦花先生は序文を書いて下さった。間もなく中支に出征、二年余り苦労して、無事凱旋した。昭和十五年六月のある日、雷門の「川松」で待っていると、便りがあった。出かけて行くと、錦花先生と富子夫人が待っておられた。川松は現在の「川松」だ。

夫婦で祝って下さった。その時、記念に贈られたインキ・スタンドである。先生ご夫婦は、すでに故人になられたが、私には手放すことがのきない品である。

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