「人生100年時代」心と表現<第25回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ

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政府の新たな看板政策、「人づくり革命」の具体策を話し合う会議が発足して、3ヶ月が過ぎた。高齢化、長寿社会の真只中に居る身としては、どうしても目が離せない。何代も続いてきた老舗のご主人に、〝秘訣は何んですか?〟と問うと、口を揃えて「人です」、と云う答えが返って来る。

文明が進み、うっかりすると時代から置いて行かれそうな恐怖を感じながら、それでも私は人間の持つ力を信じたい。人間の能力は果てしないのである。私達は持っている能力を、生きている内にどれだけ使っているだろうか。個々の能力の開発こそ、一〇〇年時代に向けて、最大の資源ではないだろうか。一億二〇〇〇万の国民が、眠っていた自身の才能に火を付け、活かすことが出来れば、どれ程の国益をもたらすか、「人づくり革命」の席上で、是非議論して貰いたい。

一〇〇年時代を迎えて、人の悩みも随分変わって来た。新聞を取らない若者世代が増えていると云う。スマホで間に合うと云うが、紙と活字の良さは全く別物、シニア世代にはどうしても受け入れられないひとつである。その新聞の人気コーナーのひとつに、「人生案内」と云うのがある。長年愛読しているが、人の悩みの移り変わりが見えて驚かされる。時には答えに窮するような、馬鹿馬鹿しい相談も掲載されていて、こんな相談に回答者の先生は、何んと答えるのだろう、と、つい眼が先を読んでしまう事もある。
読売新聞の場合、現在12人の回答者が、それぞれ相談内容に応じて担当を分けているようだ。作家、大学教授、医師、弁護士、評論家、スポーツジャーナリストと言った各界の名士達である。
最近目立って多くなっているのが、ゲームやスマホに夢中になる子供に対する親からの相談だが、つい先日、食事中もスマホを弄る母親を心配する、中学生の女の子からの相談だった。遂にそこまで来たか……と、呆れて回答欄を読む気になれなかった。

一〇〇年時代を象徴する問題が、多くなっているのも確かなようだ。親の借金が、子供にも格差を生む原因になり、問題を家族で抱え込む傾向が強くなっていると、Y教授は指摘している。
高齢になって子供に先立たれ、長生きしたくない……と言う相談に、どう慰めたらいいかこちらが悩む、と、心療内科医のU先生は綴り、生き方のモデルが無い時代だからこそ、自分らしく生きることが大切と説く。一人暮らしになっても大丈夫だと思えるよう、周囲の後押しが必要だと云う。
なるようにしかならない、と云う覚悟も大事だと云うのが、作家のD先生である。
「いいかげんに生きてみたら」、と云った回答が、これからはあってもいいのでは……とも言っている。70代の夫が認知症になり、万引きをするようになった、と云う50代の主婦からの相談もあった。年の差20歳以上、しかもお互い再婚同志、体調が思わしくない自分は、夫の好きな散歩に付いて行くのは無理、これから先、一人で介護していくのは不安で仕方がない、と云うものである。
評論家のH女史の回答は、次のような文面であった。認知症の夫君を、一人で介護しようなどとは、決して思わないで下さい。直ぐに介護保険の要介護認定の申請をすること。孤立無援の介護は挫折の元……とも説いて、今、成すべき事をひとつひとつ解りやすく教えて下さる。読みながら〝成程〟と、こちらも自分の知識の引き出しに入れて置く事となる。

若者にも若者なりの悩みがある。
大学4年の男性、民間企業への就職が内定しているが、自分が本当にしたい仕事ではなくもんもんとしていると云う。大学では法学部に籍を置き、将来は弁護士か検察官になる夢を持って、大学院への進学を望んでいた。しかし、経済的に無理と考え就職する事にしたのだが、法曹への夢は諦めきれないと悩む。
これに対し、弁護士のD先生の回答は、たとえ進路を変更しても、強い気持があるなら諦める必要はありません。その気持と真正面から向き合い、頑張ればいいではありませんか。司法試験は、法科大学院を修了しなくても「司法試験予備試験」に合格すれば、受験は可能です。働きながらの受験勉強は、口で言う程簡単なものではありませんが、その苦労は多いに役立ちます。一年や二年の寄り道は、長い人生から見れば、何のハンデにもなりません。目標に向かってのルートと、ひとつだけでなく、いろいろな方向からトライして、夢を叶えて下さい。と云うものであった。

私も、その通りだと思った。人は誰れでもひとつやふたつ、心の中に夢を持っている。しかし、その夢を実現させるには、半端な覚悟では出来ないのである。
人はつい楽な道を歩きたがる。楽な道を歩いている内に、いつしかそれに馴れて、〈あの夢〉とは遠ざかり、実現出来なかった言い訳だけを正当化する。
本気になって向き合い、やる気を失わなければ、必ず夢は実現出来る、と私は信じている。

佐藤愛子著「九十歳何がめでたい」の中に、「人生相談回答者失格」と云う章があり、〝わが意を得たり〟とニタリとした。常々、私は相談内容を読みながら、〝こんな事わざわざ人目に晒して相談する事だろうか、少し考えれば解るじゃないの〟と、心の中で叫んでいる事が多いのである。
佐藤女史の場合は、産経新聞の「人生相談」での内容だが、「田舎の近所付き合いが憂鬱」と云う見出しで、50代の女性からの相談だった。それによると、自分は若い時からずっと働いて来たが、周囲は高齢者が多く、無神経に立入った質問をして来る人が沢山いる。その度に適当に嘘をついて誤魔化して来た。嘘の上塗りもしてきたが、そんな自分がいやになる。私は嫌な人間ですか?
佐藤女史は一読して「大変ですねぇ、こういう質問に答えるのは……」と、しみじみ思ったと言う。自分がもし回答者だったら「困ったねェ…」くらいしか。とも書いている。嫌な人間ですか? の質問には、「嫌な人間ではありませんが、弱い人間です。あえてはっきりいうと気が小さいんです」、ズバリ、ハッキリ急所を突く。
私はとうてい、相談ごとの回答者にはなれっこないのである……と。私も同感である。

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