岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第11回>|月刊浅草ウェブ

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もう70年も昔のこと、上野の支店で駒込西片町の鈴本、略して鈴駒です。落語の定席ではあったけれど女義太夫一座の興行もある。小土佐の「三勝、美濃屋」を聴いたのもここ。昇菊、昇之助、朝重、小播磨、播太郎等々数えたらキリがない。客席に「俳句題、灸だけはすえで助かる命かな」の貼り紙あり、今晩真打の語り物は何でしょう、当てた方にはー景品が出る。〽煎薬と練り薬と針と按摩でようようと命つないでー成程、灸だけは、ない、助かったのが夕霧で、すなわち今晩の語り物は、「夕ぎり伊左衛門」、お客さま先刻承知という時代です。そんな時代の人気花形竹本綾菊、綾香、好きであったことは確かだけれど私に語り草何一つ残っていない。有縁有志が毎年その出山寺で綾菊忌を催していることは知っていたけれど出席したことはない。綾菊を聴いたことのある世話人も次ぎ次ぎ他界して今は、見ざる聴かざる何人かの特志の人たちが何か心惹かれての小集ということで、ことしも9月6日に第65回の追慕追善、新聞を頂いたのが時すでに遅かった。現在はその若い和田氏を中心に綾菊を「知らない者ばかり」が「それぞれが美化した人間像を作り出して考えている」らしくこれが仏縁というものか、殊勝なことと敬服するほかなく、いつまでも続けてほしい。綾菊忌ではあるけれど、「義太夫記」であり、義太夫という邦楽の励ましにも通じるし、当世ふうに解釈すればその普及宣伝にもつながる。また、綾菊忌一つが人間の心をすなおに温めるキッカケになり得ないとも限らない。義太夫の席に「俳句題」のあったことも機械文明大繁昌混乱の今から思うと実に懐かしいではありませんか。

明治書院の小さな「季寄せ」を見ていてオヤとびっくりさせたれた一句ー

【初嵐して人の機嫌はとれませぬ】三橋鷹女

破調の新内にたくさん作っている私だからこんな表現の俳句に驚くことはないけれど、それにしても作者は女性です。びっくりしてその「季寄せ」で探してみると、ある、あるー

【白露や死んでゆく日も帯締めて】三橋鷹女

【ひたすらに飯炊く、燕帰る日も】〃

【笹鳴きに逢ひたき人のあるにはある】〃

欲が出てほかの小さな歳時記を見たらー

【忍冬のこの色ほしや唇に】

【しゃが咲いてひとまづは財布乏しくゐる】

【蔦青したれもたれもが勤めに出る】

探せばもっとあるに違いない。わざと俳句らしく見せようとしない大胆な表現が私は好きだ。句も歌も文章も文字も総て分り易いに限る。芸も分り易いがいいこと言うまでもなく人間も、分り易いに越したことはない。「あのひと、得体が知れない」のや、「あいつ、いいのか悪いのか、正体がつかめない」なんてのはいけません。私にもそんな気味があるらしいのでかえりみる次第です。分り易い句の作者三橋鷹女、どこの結社にひとか知らないけれど敬意をささげたい。も一つー

【花街の昼湯が開いて生姜市】菖蒲あや

ハナマチと読むのでしょうね。演歌「花街の母」以来ハナマチが通用する。新らしい字引にも出ている。私たちなら「花柳界」或いはカガイか色里か、ハナマチと聞くと背筋が寒くなるのです。これは句のよしあしではなく、時代のズレにかかわる小感。

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