「昭和20~30年代・浅草六区の主要劇場」蘇る当時の喧騒!<第36回>浅草六区芸能伝|月刊浅草ウェブ

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東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第36回>「昭和20~30年代・浅草六区の主要劇場」

前回は、明治~大正時代に六区興行街に建築された劇場のお話でしたね。関東大震災で倒壊の憂き目に遭うも見事に再建され、ほぼ1世紀という長きに渡り地元っ子や浅草ファンに愛され続けた、常盤座金竜館東京倶楽部の歴史について、ご紹介しました。地味な話題かなと思ったのですが(笑)、意外にも多くの反響を頂き、これは嬉しい驚きでした。この三館は建築物としても大変美しく、また平成3年まで現存していたということもあり、今でも沢山の方の記憶に刻まれているようです。

私が16歳で上京し、父の経営するロック座・フランス座の手伝いを始めたのは、昭和26年。当時は六区全盛期ですから、私は現在に至るまで約70年(!)、戦後の興行街の栄枯盛衰をこの目に焼き付けてきたことになります。もちろんそれよりずうっと以前、古いところでは明治時代から、脈々と続いてきた劇場の一つ一つに、それぞれの歴史があり、ドラマがあったわけですが、今回は特に、昭和20年代半ばから30年代に焦点を当て、華やかな時代を彩った六区のさまざまな劇場について、当時の街の様子をイメージしながらお伝えしたいと思います。
コロナ以降浅草では、次世代の街おこしへの機運がますます高まっているのを日々感じています。お若い方々、何らかのヒントにぜひこの冊子を”ポケット参考書”としてお役立て下さい。スマホを取り出す前に「浅草六区芸能伝」の頁を開けば、ネット検索の手間が、ちょっぴり省けるかも知れませんよ(笑)!

>次ページ「街の姿と同じようにしなやかに変遷を繰り返しながら、より良くなってゆくのだと信じ、頑張ってゆこうではありませんか!」

浅草演芸ホール

【浅草演芸ホール】浅草唯一の落語定席 明治17年から続く浅草笑いの伝統!

浅草演芸ホールは、鈴本演芸場(上野)、新宿末廣亭、池袋演芸場とならぶ、東京の「落語定席」のひとつです。
「落語定席」とは、1年365日、休まずいつでも落語の公演を行っている劇場のことで「寄席(よせ)」とも呼びます。
昭和39(1964)年のオープン以来、10 日替わりで落語協会と落語芸術協会が交互に公演を行っています。
落語のほかにも、漫才、漫談、コント、マジック、紙切り、曲芸、ものまねなど、バラエティーに富んだ番組をご用意しています。
昼の部と夜の部は、原則として入替えがありませんので、お好きな時間においでになって、心ゆくまで「演芸」をお楽しみいただけます。
萩本欽一やビートたけしなどを輩出した、お笑いの殿堂「浅草演芸ホール」に、是非一度お越しください。


浅草演芸ホール〜公式ページ