「昭和20~30年代・浅草六区の主要劇場」蘇る当時の喧騒!<第36回>浅草六区芸能伝|月刊浅草ウェブ

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昨今では、昔の街の様子についての伝聞・記憶を語れる方々も、貴重な存在となってきました。だからこそ今後のためにも、まだそういった話が聞こえてくるうちに、記録しておきたいという思いが募っています。

まずは、基本中の基本から。
『劇場』とは、何なのか(笑)?…どうも、われわれが当たり前のように使っている『劇場』『小屋』という言葉自体が、今の若者にはピンときていないようだということに、最近気づきました(笑)。しかし考えてみれば、それも自然なこと。第一、彼らの親世代からして、生まれた時から家庭内にはあらゆるメディアがあり、ドラマもお笑いも音楽もアニメも、わくわくするようなエンタメは居ながらにして楽しめるのですから、わざわざ街へ出て、高いお金を支払ってまで生モノを鑑賞しようという習慣が、育っていないんですね。たまに行くのは映画館くらいで、各種芸能に特化した劇場へ足を運ぶ人は、そう多くはないでしょう。〝劇場って、具体的には何を指すの?〟そういう質問が出てくるのも、当たり前かも知れません。
われわれが『劇場』という言葉で表現しているのは、映画館もそうですし、コンサートホールも、ライブハウスも、演芸場も、芝居小屋も、ストリップ小屋も…広域の意味では全て劇場。規模の大小にはあまり関係なく、『小屋』と呼ぶこともあります。もちろん、浅草フランス座演芸場東洋館も『劇場』であり、『小屋』です。
これまでこの連載の中にもたくさん劇場の名前が出てきましたが、個々の小屋の種別や、具体的にはどんなことをやっていて、どんな人が出ていたのか、どのあたりに位置して、いつ頃流行っていたのか…等々を相対的に話題にしたことはなかったので、背景を理解しづらかったかも知れませんね。せっかくですからこの機会に、私の知る範囲ではありますが、地図を交えながら解説してみたいと思います。あくまで、ざざっとですけれどね(笑)。

地図を見ながら、話を進めてゆきましょう。

斜線の建物が映画館、グレイが実演劇場、
半々に塗り分けられているのは、同じ建物の中に両方あった施設。

A~Eは、全て松竹系。Aはいわゆる成人映画の日本館。Bは松竹座。古くは松竹歌劇団のホームグラウンド、国際劇場(K)が出来てレビューの拠点が移って以降は映画館、ボーリング場へ。Cは松竹演芸場。浅草演芸ホールが出来るまで、長らく浅草には寄席がなく、演芸場は主に落語以外の演芸(色もの)を見せるための小屋でした。特にここは、一大ブームを巻き起こした「デン助劇団」の拠点となったことで有名です。Dのアンコール劇場は、松竹映画の二番館。Eが浅草松竹。フランス座の両隣は、Fが日活で、Gが大勝館。どちらも大きな映画館でしたが、大勝館の豪奢さは際立っていました。地下のストリップ劇場・カジノ座は、ロック座に対抗して作られたとも言われています(笑)。ロック座のお隣Hは東京吉本が戦前から経営する花月劇場。関西から芸人さんが入れ替わり立ち代わりやってくるのが新鮮で、よく仕事の合間に楽屋口から覗きに行ったものです。Iは浅草映画劇場。地下には浅草名画座。Jは新浅草座。地下には成人向け映画の世界館と、ストリップ劇場の浅草座。Lは東映、地下に東映パラス。ここは大正時代に凌雲閣(十二階)が建っていた場所です。M・N・Oは、 冒頭で触れた例の三館(詳しくは、先月号参照!)。Mはこの時代にはもう、ロキシー映画劇場となっていましたね。Pは電気館。明治36年創業で、日本初の常設映画館として歴史に名を残しています。Qは千代田館。こちらも明治創業の老舗館ですが、この頃は新東宝の封切館となっていました。ちなみに、フランス座の真ん前の三角形の土地はオペラ館の跡地ですが、電気館、千代田館、オペラ館の歴史については、また別の機会に特集したいと思っています。Rは木馬亭の前身・木馬館。戦前・戦後の時期は大流行した安来節の常打ち小屋でした。Sは昨年亡くなられた浅香光代さんらが活躍した女剣劇で有名だった、奥山劇場。エノケンが活躍した水族館の跡地ですね。

…とまぁ、駆け足で紹介してみましたが、いかがでしょう。入れ替わりも激しく全てを把握するのは困難でしたが、多少なりとも当時の六区興行街の様子が、伝わったでしょうか?この号はどうぞ保存版にして、今後の話題を紐解く際に、引っ張り出してはお役立て下さいね(笑)。

コロナ禍はいつまでも続かないけれど、あらゆる意味において、大きな歴史の変革期となったことは間違いないでしょう。日常生活同様、芸能のあり方もすっかり元には戻らないと覚悟して、然るべきだと思います。
けれど、悲観的になることはありません。街の姿と同じようにしなやかに変遷を繰り返しながら、より良くなってゆくのだと信じ、頑張ってゆこうではありませんか!

※掲載写真の無断使用を固く禁じます。

浅草演芸ホール

【浅草演芸ホール】浅草唯一の落語定席 明治17年から続く浅草笑いの伝統!

浅草演芸ホールは、鈴本演芸場(上野)、新宿末廣亭、池袋演芸場とならぶ、東京の「落語定席」のひとつです。
「落語定席」とは、1年365日、休まずいつでも落語の公演を行っている劇場のことで「寄席(よせ)」とも呼びます。
昭和39(1964)年のオープン以来、10 日替わりで落語協会と落語芸術協会が交互に公演を行っています。
落語のほかにも、漫才、漫談、コント、マジック、紙切り、曲芸、ものまねなど、バラエティーに富んだ番組をご用意しています。
昼の部と夜の部は、原則として入替えがありませんので、お好きな時間においでになって、心ゆくまで「演芸」をお楽しみいただけます。
萩本欽一やビートたけしなどを輩出した、お笑いの殿堂「浅草演芸ホール」に、是非一度お越しください。


浅草演芸ホール〜公式ページ