外国からやってきた青年が見たニッポン|こやたの見たり聞いたり<第30回>月刊浅草ウェブ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る
月刊浅草アリー・サミュエル

今から6年前に、「自分が全く知らない言語の国に住んでみたい」という、ちょっと変わった動機で日本にやってきた青年がいる。

現在、外国人向けの東京情報発信サイト「Tokyo Alleyways」(トーキョーアリーウェイズ=東京の路地裏)のライターを務める、アリー・サミュエルさん(28歳)だ。
今回は、少し視点を変えて、日本に住む外国人(=サミュエルさん)から見たニッポンの風景を覗き見てみたい。

サミュエルさんは、アメリカのテネシー州で生まれ育った。子どもの頃には、「ポケモン」や「スマッシュブラザーズ」などのゲームが人気だったが、それらが日本のゲームだとは知らなかった。家の近くのレストランで日本料理を食べられる機会はあったが、それは「アジアンレストラン」として一括りにされており、アジア各国の料理がごちゃ混ぜで、どれが「日本料理」なのかよく分からなかった。叔父さんが自動車会社の「ニッサン」に勤めていたが、その工場で働いているのはアメリカ人ばかりで、「ニッサン」が日本の企業だということを知らなかった。そんな具合で、サミュエルさんは日本をほとんど知らずに育った。

大学では、歴史学を専攻し、アメリカ史〜世界史まで幅広く学んだ。特にアジア史を学んだというわけではない。大学を卒業するとき、「外国に行って経験してみないと分からないことはたくさんあるから、全く知らない言語の土地に住んでみよう」と決意した。そんな時、茨城県水戸市の英語教師の募集に目が留まり、それまで全く知らなかった「日本語」という言語を持つニッポンにやってきた。

 全く喋れずに日本にやってきたから、最初の頃はスーパーで買い物をするのも苦労した。レジ袋が欲しかった時、「カバンください」としか言えなくて、レジ袋が欲しいと理解されるまで時間がかかった。想定外に良かったこともある。水戸市といえば納豆が有名だが、納豆は臭い・まずいと聞いていたが、食べてみたら美味しかった。銭湯も、最初は恥ずかしいと思ったが、日本人の友達が入り方を教えてくれて入ってみたら、本当に極楽気分だった。

 またある時は、茶道を体験する機会があった。茶道には、一つ一つの所作に細かいルールが決められていた。アメリカはすごく自由な国だから、家族間や個人的なルールはあっても、何かをするときに日本のようなルールはほとんどない。それまで気付かなかった違いがどんどん見つかっていくのが、面白いと感じた。

自分が実際に体験してみないとわからないことはたくさんある。東京についても同様だった。外側から見た「Tokyo」と、内側から見た「Tokyo」の違いがあることに気が付いた。最初は、浅草寺、東京スカイツリー、歌舞伎町といった、いわゆる観光地に目が行くが、実際には東京にも小さなコミュニティーがたくさんあって、支え合って暮らしている。大都会のイメージのある渋谷でさえも、まるで田舎のような小さなお祭りがあって、地域の人たちが神輿を担いでいた。サミュエルさんは、これからライターとして、海外にいる人たちにもっと多面的な日本の魅力を伝えたいと意気込む。

ここまでお国柄の違いを多く語ってきたが、サミュエルさんのお父さんが来日した時に発見したこともある。生まれて初めての来日で、最初は容姿が違う異空間に来たという印象を抱いたが、1週間もいるうちに、人々が一生懸命働く姿や、働いた後に居酒屋で笑いながらお酒を酌み交わす姿を見て、世界中の人たちは「同じ」なんだということに気がついて、感動したという。

サミュエルさんに「これから日本に来る外国人に何かアドバイスはありますか?」と尋ねたら、「日本の言語を勉強した方がいい。まず自己主張をするのではなく、周りの話を聞いて、周りから学ぶ姿勢・心を持って日本を訪れてほしい」と話してくれた。

今回サミュエルさんとお話をする中で、まだまだ言語の面で外国人を敬遠してしまう日本人が多くいる中で、確かにこうした外国人が増えてくれたらもっと仲良くなれるのだろうな、と希望が見えた気がした。

サミュエルさんには、「浅草はっけん」にて、外国人からみた浅草についての記事をご寄稿いただいた。

併せてぜひ読んでほしい。


合わせて読みたい!関連記事