つれづれの記<第10回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ

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伝法院通り鎮護堂前「酒井好古堂」は仲見世に本店を構える明治3年創業の美術商である。シャッターに浮世絵を制作する北斎漫画の依頼があり、版木を彫る職人を描いた。工房の壁に葛飾北斎の冨嶽三十六景『凱風快晴』。凹凸画面に隙間という構造上の制約があるので、作者には申し訳ないが若干の修正が必要になる。例えば、人物の目が隙間に入っては絵にならない。微妙にレイアウトを変え違和感なく表現するのもトリックアート。

―早朝の清冷な空気に泰然自若と朝焼けに染まる「赤富士」。主役を少し右にして整然と並ぶ鰯し雲が壮観である。漁師はいわしの大漁を前兆とする。羊が進行するさまにも似て羊雲友呼ばれる。秋の高積雲で本来は高さ5,000メートル~10,000メートルに生じるが、北斎流の洒落は裾野を吞み込まんばかりの迫力である。ランダムな雲の表現は簡単なようで意外に難しい。遊び心と感性が見事に赤富士を際立たせている。

—代表作冨嶽三十六景 シリーズは天保2年(1831年)北斎72歳の時、日本橋馬喰町の永寿堂(西村屋与八)から出版された。
20歳の時、勝川春郎の名で作品を発表して以来、為一・画狂人・卍・北斎辰政と雅号変更は30回に及ぶ、個人的には還暦を境に人生を仕切り直した為一に共感を憶える。90歳で没するまで木版画から肉筆まで約30,000点の膨大な数を残している。

—頑固一徹自己中心主義。俗世間と一線を画し奇人変人のエピソードは事欠かない。酒は飲まず煙草も吸わず食事の支度もまっぴら、超然としている。机のまわりは食器や竹皮紙屑が散乱。娘の応為(おうい)にも片づけさせずやがて「溜まったなぁ・・・然らばご免!」転居は93回元祖ゴミ屋敷。描いても描いても金は貯まらない。筆屋が掛け取りに来ても額を確かめることなく画料の包みごと渡してしまう。貧乏性というより「経済観念ゼロ」。
誇りと信念は微動だにしない。オランダカピタン(商館長)と随行のヘンミーに民族資料長編絵巻を依頼された。 応為 や弟子総動員の一年大作。カピタンは約束の百五十両を支払ったがヘンミーは薄給を理由に半額値引きを迫ってきた。〝ならぬ!〟人によって画料が変ったり異邦人の無理強いに屈するのは日本の恥である。渡さなかった。後にこの経緯を聞いたカピタン申し訳ないと残りも百五十両で引き取りに来た。

―《富嶽三十六景・東京浅草本願寺》
東の田原町から西方に本願寺大屋根と富士の望見。三角形の相似が秀逸。
左雲間に覗く家並は現在の元浅草1~4丁目に位置する。一帯は明治2年、誓教寺など十五ヵ寺が合併し永住町として起立している。

—10年程前のこと。「変哲もない屋根の連なりが気にかかる。雲間に北斎の狙いがあるのでは・・・
『富士より〝ピーン〟と張ったラインに〝ピン!〟ときた。凧の糸には意図がある―』

—随亀山経弘院誓教寺(ずいきさんきょうぐいんせいきょうじ)〈元浅草4-6〉は、京都知恩院の末寺である。慶長15年(1610年)の創建。当初は日本橋矢ノ倉のあった。
幕府は有事の際に要塞化する軍事目的で、街道筋に寺院を集め新寺町を構成した。その1つが 誓教寺で北斎の父が眠る菩提寺。先祖を遡れば武士の家系。母親は赤穂浪士と闘って散った小林平八郎の孫にあたる。
嘉永2年(1849年)浅草聖天町の長家で三女の阿栄に育てられ亡くなると誓教寺に埋葬された。現在の墓は他家の養子となった次男の崎十郎が建て、墓石には『画狂老人卍墓』と記されている。90歳という当時では考えられない長生きをしながらあと5年あれば極めると筆を離さなかった。晩年の作品に冨士を超えて龍が昇天する「冨士越龍図」がある。—《東都浅草本願寺》凧を龍に置き換えれば雲間に菩提の「 誓教寺 」。めでたく天に昇る『天竜図』となる。

―昭和47年頃珈琲好きが高じて左衛門通り誓教寺の数軒先に店を開いた。父が戦前モガ・モボ時代銀座のパーラーで腕を磨いている。良き時代の淹れ方で楽しみたかった。毎朝琥珀のネルドリップ。アイディアを練ったり馥郁(ふくいく)たる香りに誓教寺を散策。4月18日の命日は卍墓にお参りしたり・・・。

—アメリカの雑誌「ライフ」が発表したこの千年で重要な功績を残した100人に、日本で唯一選ばれたのが葛飾北斎。私が最も身近に感じる偉人である。

(田中けんじ, 2016年)

田中憲治 デザイン事務所「レタスト」http://www.letterst.jp/profile/index.html

※掲載写真および作品の無断使用を固く禁じます。

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