【十二階の美人投票】
絵葉書になった美人に、新橋芸者の二代目お妻がいる。もちろん、明治の話で、木村錦花(きんか)先生に教えてもらったのだが、お妻が全国的に知られるようになったのは、浅草十二階の人気投票からである。
お妻は、対馬の土岐守道の娘で、守道が政敵に暗殺されてからは、下谷二長町にあった対州内で母と細々暮らしていた。十五の時、母が死んだので、お妻は流々転々の生活に入り、当時女侠と云われた烏森の舛田家の女将にたすけられ、二代目お妻の披露目をやった。目のさめるような美人だったから、たちまち評判になり、伊藤博文や黒田清隆らにも可愛がられていた。
明治二十五年、京橋の日吉町に「花の家」と云う、自前の看板をあげたが、翌年夏、珍しい美人投票が、新聞社の主催で開催されることになった。会場は浅草の十二階、日本一の写真師小川真一が撮影、大写真を十二階に飾ると云うので美人が殺到、大騒ぎとなった。新橋からは吉田家のやまと、玉川家の玉菊、花の家のお妻が選ばれたが、美人投票に選ばれただけでも、めでたいとされた。
選抜された美女達は、午前十時に浅草十二階に集合、小川真一に撮影されることになっているが、お妻は親しい髪結いさんに頼み、文金高島田に結った上、光琳風の裾模様のある黒ちりめんで出かけることにしていた。写真撮影の当日、午前八時になると美人投票に出る新橋芸者の世話をしている太鼓持松五郎が飛んでくる。
「お妻姐さん、浅草は十時ですよ。九時になったら、揃ってでかけやすから頼みますよ。」
「あ、よござんすよ。」
九時になって、松五郎が迎えに来たが、お妻は寝乱れ髪のまま撫でつけてもいない。
「おどろきましたね。皆さんはお揃いなんですよ。どうなさいやすんで?」
「髪結いが来ないんですよ。こんな姿じゃ、行かれないじゃありませんか」
「そいじゃ、棄権になさいますか?」
「棄権だって―」
お妻の胸に、ぐっときた。ハサミを取ると寝乱れ髪の根の元結を、ぷつんと切って、
「美人と云うものは、髪の結ひ方できまるもんじゃない。それでは、髪結いの投票じゃないか、妾はこのままの姿で、出ますよ」
鶏卵を五個ばかり、ポンポン割っておいて、もろ肌になって、髪をざぶざぶ洗った後、洗い髪を撫でつけ、浅岡の三人掛けの人力車で出発した。一人は梶棒、一人は綱を曳き、一人は車の後押しでガラ、ガラ、ガラ。お妻の洗髪姿は、大勢の人を魅了した。
数日の後、群衆が殺到、十重、二十重に取り巻いていた十二階に、一等当選の美女は「洗髪のお妻」の大写真が掲げられた。お妻の売り出しはこれからである。