東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館) 松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第5回>「三波伸介(みなみしんすけ)」
早いもので、この連載も5回目となりました。ここまでは、主に昭和20年代後半~30年代初頭に浅草フランス座で活躍したコメディアンたちのことを紹介してまいりましたが、実演劇場の全盛期であったこの頃、東洋興業は新宿と池袋にも相次いでフランス座を構えており、それぞれの街のカラーに合わせた小屋は、おかげさまで浅草に負けず劣らずの人気を博すようになっていました。特に、演者も客層も若く活気のあった新宿フランス座の勢いには目を見張るものがあり、ここからも個性溢れる優秀な芸人が続々と誕生していったのです。
今回は少し目先を変えて、新宿フランス座で活躍してくれたコメディアンたちのこと、下積み時代の彼らにとって欠かすことのできなかった“もうひとつの職場”キャバレーとの関係、当時の時代背景などを中心にお話したいと思います。本格的なテレビ時代の夜明け前、実演舞台に懸ける芸人たちの青春の煌き、感じて下さい…!
昭和20年代半ば、新宿駅周辺はまだ戦争の面影を色濃く残しており、いわゆる闇市と呼ばれた沢山の露店で埋め尽くされていました。昭和24年にGHQから露店撤収の命令を受けた東京都は思案の末、都電車庫跡(現在の伊勢丹本館隣)に新宿サービスセンターというビルを建て、露店商にこの建物内への移転を指示したのです。ところが、実際に店が入ったのは1階だけで、2階がぽっかりと空いていた。ならばこの場所を借りて、街の活性化にも一役買えるような新しい劇場を作ろうではないかということで昭和27年に立ち上げたのが、新宿フランス座(昭和32年、新宿ミュージックホールと改名)です。
新宿フランス座の初代座長は、後進の指導にも大きな功績を残してくれた安部昇二。テレビでも活躍した石井均や味のある芸風で人気を集めた石田英二など、多くの魅力的なコメディアンが在籍していましたが、何といってもみなさんにとって馴染みが深いのは、親しみやすいキャラクターで愛された三波伸介率いる「てんぷくトリオ」ではないでしょうか。