東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第40回>「アズハチ?欽ちゃん?二郎さん?」
前回は、劇場の裏側ツアーの完結編として、かつて芸人たちが寝泊りしていた〈伝説の楽屋〉などを、ご紹介しましたね。久しぶりにあの懐かしい部屋に入ってみたら、当時の記憶が、さまざまに蘇ってきました。フランス座で父の仕事を手伝いながら過ごした日々は、芸人さん達にとってだけでなく、私自身の青春でもありましたからね。あの頃はただ目の前の仕事に夢中で、時間はあっという間に過ぎてゆきましたが、いまにして思えば、毎日毎日がなんて刺激的で、面白いことの連続だったことか!当時の私にとっては何気ない日常のひとコマが、案外貴重な浅草の裏話になり得るのかも知れませんね(笑)。
そんなわけで今回は、前回の取材をきっかけに蘇ってきた、フランス座時代の楽しい思い出話を、徒然なるままにお話してみようと思います。
あの〈伝説の楽屋〉ですが、あれは、基本的には徹夜稽古のために泊まる芸人らが入れ替わり立ち変わり使っていた部屋だったと思います。そこへ長期滞在した(笑)のが、まだエレベーターボーイ兼芸人見習いとして入ってきたばかりだった、25歳の北野武です。〈浅草の師匠〉と呼ばれ、誰からも一目置かれる存在だった深見千三郎に弟子入りを許されたものの、何のあてもなく浅草へやってきたたけしには、まともな住まいもありませんでした。それを見かねて、当時支配人としてフランス座を任されていた深見が私に掛け合い、たけしの楽屋暮らしの許可を取り付けたわけです(笑)。
数か月の楽屋暮らしを経て、たけしは東洋興行の経営する松倉荘へ移ることになりました。ここは芸人や踊り子たちが、社員寮のように単身生活を送っていたアパートです。4階建てで、殆どの部屋が3畳間。でも、深見の部屋だけは、大きいんです。確か、6畳だったかな?なんてったって〈浅草の師匠〉ですからね、少々VIP待遇です(笑)。当時踊り子として活躍していた奥さんと一緒に住んでいました。たけしは師匠だけでなく、この奥さんにもとても可愛がられたようです。お腹がすけば、食べきれないくらいの差し入れを貰ったり。
仕事が終わると、深見は毎晩のようにたけしを誘い、連れだって風呂屋へ通いました。そして、千束辺りの一杯飲み屋に寄ったり、時には寿司屋へ行ったり。それが何よりの楽しみだったのでしょう。深見は、たけしにばかり美味しいものを食べさせて、自分は質素なものしか食べなかったといいます。いくら座長で支配人とはいえ、当時の芸人の懐なんて、そうそう潤ってる筈もないのにね(笑)。