「林家彦六」(八代目・林家正蔵)“トンガリの正蔵”と呼ばれた稲荷町の師匠<第29回>浅草六区芸能伝|月刊浅草ウェブ

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もう一つの通称〈稲荷町の師匠〉は文字通り、居住していた町の名前から。…そう、知る人ぞ知る『稲荷町の噺家長屋』。この言葉にピンときた方は、なかなかの落語通ですね(笑)。
彦六が45年という長い歳月を過ごした家は、東京メトロ銀座線・稲荷町駅を出てすぐの、台東区東上野5丁目にありました。寄席発祥の地として知られる下谷神社にもほど近く、噺家の住処としてはまたとない場所。実は私も、師匠の存命中には何度もお宅に伺ったことがありますので、今でも目を閉じればあの長屋の情景がありありと浮かび、何とも言えぬ懐かしい気持ちに包まれるのです。

浅草通りと清洲橋通りがぶつかる交差点を少し入った路地裏に、その長屋はありました。古い記憶を辿れば、確か四軒長屋と二軒長屋が並んでおり、四軒長屋のほうの一番左端が、彦六宅だったはず。
家の間取りは、はっきりと覚えています。…というのは、忘れようもないほど簡素な造りでしたから(笑)。 
まず、玄関を上がるとすぐに二畳間があり、その奥に六畳間、あとは小さな台所。二階もあったのですが、上は芝居噺に使う道具類でいっぱいだったといいますから、おそらく生活の場は、下の二間のみだったと思われます。その限られた空間に家族が暮らし、お弟子さん達が通い、毎日多くの人が出入りしていたわけですから、今の感覚からいえば、ちょっと驚きですよね。
けれど小さなその家には、なんと大らかで、温かい空気が流れていたことでしょう。
居間には時代劇に出てくるような長火鉢があり、いつなん時お客さんが来てもお茶を出せるよう、日がな一日コトコトとお湯が沸かされていましたっけ。その光景はまるで、落語の中の一場面さながらでした。
そうそう、並びの二軒長屋には、九代目・桂文治も住んでいたんですよ。文治は彦六より少し年長でしたが、ふたりは公私に渡り仲が良く、家族ぐるみの付き合いをしていたそうです。なんでも倹約家の文治は、毎朝彦六宅に新聞を読みに行っていたとか、いないとか…(笑)。
長屋の真向かいには、趣ある同潤会上野下アパートメントがあり、一本路地裏には昔ながらの湯屋があり、ちょいと歩いたところには、大正時代から続く美味しいとんかつ屋さんがあり…。思えばあの一角は、古き良き時代の東京を象徴する景色そのものでした。

あの懐かしい町の風景は今、どうなっているでしょう?
彦六宅のあった四軒長屋は、残念ながら老朽化により取り壊され、現在跡地はコインパーキングとなっています。
上野下アパートメントは、最後の同潤会アパートとして頑張っていたものの、2013年に解体され、高層マンションへと姿を変えました。
彦六をはじめ、多くの噺家たちに愛された老舗とんかつ屋「気賀亭」はごく最近まで営業していましたが、昨夏惜しまれつつ、ひっそりと暖簾を下したそうです。

消えてゆくものがある一方、残ったものも。
路地裏の「寿湯」は三代目へと引き継がれ、時流に沿った経営が評判を呼び、今なお元気に営業しています。
そして、文治の住んでいた二軒長屋。嬉しいことにこちらは現存し、かろうじて当時を物語ってくれています。この家には、文治の養子にあたる十一代目・翁家さん馬が2008年まで住んでいたそうです。彼が亡くなってから10年以上経った今もなお表札を出しているのは、ひょっとしたら、ご遺族からこの地を訪れる落語愛好家たちへの、粋な計らいなのかも知れませんね。

数年前にはあったものが、いつの間にか跡形もなく消えている。目まぐるしく変化するこの時代にあって、古い建造物や町の情緒を残すのは、至難の業だと解っています。それでも、あえて残して欲しい。何故なら、すっかり消滅してしまったものを蘇らせるのは、保存するよりもずっとずっと困難だからです。たとえ復元出来たとしても、もとの味わいまで取り戻すことは、恐らく不可能でしょう。それは形あるものだけに限らず、芸事や伝統技術、祭りや風習など、全てにおいて言えることだと思います。

幸い私たちの周りには、まだまだ宝物が数多く残されています。それらは必ず、次世代を生きる人々に何らかのインスピレーションを与えてくれることでしょう。文化とは、そうして役立ててゆくべきものです。
…なんて、ちょいと堅苦しい話になってしまいましたが(笑)、そんなことも少しばかり頭の片隅に置きつつ、稲荷町から浅草まで、思う存分下町散策を楽しんで下さいね!

(口述筆記:高橋まい子)

浅草演芸ホール

【浅草演芸ホール】浅草唯一の落語定席 明治17年から続く浅草笑いの伝統!

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「落語定席」とは、1年365日、休まずいつでも落語の公演を行っている劇場のことで「寄席(よせ)」とも呼びます。
昭和39(1964)年のオープン以来、10 日替わりで落語協会と落語芸術協会が交互に公演を行っています。
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