東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第27回>「古川ロッパ(ふるかわろっぱ)」
さて、前回は浅草が生んだ〈日本の喜劇王〉エノケンこと榎本健一のお話をしましたね。
ずいぶん前のことになりますが、平成15年に東洋館で「エノケン生誕100年祭」が開催されました。榎本よしゑ夫人の講演をはじめ、エノケンのヒットソングや当たり狂言、コント等で彩られた華やかなイベントには、老若男女大勢のお客さまが押し寄せ、時を超え、世代を跨いで愛され続ける鬼才の凄さを、あらためて見せつけられたものです。
それもそのはず、エノケンが活躍した昭和初頭といえば、まさに浅草喜劇の黄金期!未だかつて観たこともなかった斬新な芸が次々と編み出され、「軽演劇」という新たなジャンルが確立してゆきました。その中心人物となったのが榎本健一なわけですが、この時代を語る上でもう一人、決して忘れちゃならない役者がいます。
…そう、もうお解りですね?“エノケン・ロッパ”という言葉を、耳にしたことがない人はいないでしょう。
今回は、同時代にエノケンと人気を分かち浅草軽演劇の双璧をなした、こちらも奇才と呼ぶにふさわしいコメディアン、古川ロッパのお話です。
東洋館の前身・東洋劇場の誕生にも間接的に影響を与えた劇団「笑いの王国」の座長でもあったロッパの、バラエティに富んだ人生劇場、はじまり・はじまり…!
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