日本に初めて映画がお目見えしたのは明治29年ですが、当時は音声が一切入っていませんでした。
チャップリンの映画を観たことはありますか?劇中に時折、黒板に書いた文章のようなものが挿入されますね。欧米ではあのように、テキストショットで状況説明をしたのですが、古来より話芸が盛んだった日本では、人間が口頭で実況するという、独自の手法が確立してゆきました。
それに伴い誕生したのが、活動写真弁士。当時としては、流行の最先端をゆくお洒落な職業だったのです。
「あぁ、映画解説者のようなものね?」
…いえ、それはちょっと違う気がします。解説者というよりはむしろ、役者に近いのではないでしょうか。しかもアドリブ劇を得意とする、かなりハイレベルな表現者。
活弁最大の魅力は、そのライブ感にあります。何といっても興味深いのは、同じ映画でも担当する弁士によって、台詞からストーリー展開、場合によっては結末さえも変わってしまうこと!弁士たちはあらかじめ用意した台本を元にしつつも、その時の状況やお客さんの反応を見ながら思いつくままに即興で物語を展開してゆくので、同じパフォーマンスには二度とお目にかかれないという、いわば一期一会のプレミア・ライブなのです。
例えば、一本の恋愛映画にしても、ある弁士は美しい台詞とムーディな音楽で王道のロマンスに、別の弁士は滑稽なやり取りやギャグをちりばめてラブコメディに、また他の弁士はタイムリーな話題や流行歌を盛り込んで時事ネタ風に…と、同じフィルムでありながら、それぞれが全く別の作品に調理してしまうというわけです。また、その日の現場の雰囲気を踏まえてアドリブを加えてゆくこともこの芸の特性ですから、弁士自身にすらどう転がるか分からないという緊張感がある(笑)。
…ね、活弁ってすごくスリリングで、面白いでしょう!?
かつてフランス座の真ん前に、電氣館という大きな映画館がありました。創業は明治36年、日本で初めての常設映画専門館として有名です。私がフランス座で働き始めた頃には、さすがにもうサイレント映画の時代ではなかったけれど(笑)、昔は多くの活弁士たちが華々しく活躍し、芸を競い合っていた劇場です。
常設館が誕生する以前、映画の営業形態は基本的に巡業スタイルでした。その頃から活弁も存在していたので、厳密には浅草発祥とは言い切れないかも知れませんが、電氣館が出来て以降、日露戦争の好景気に乗じて、浅草を中心に大規模な映画館が次々と誕生し、明治40年代に入ると、封切館は浅草に集約されていった…こうした背景を考慮すれば、この街の映画文化とともに活弁もまた大きく花開いたということは、間違いありません。
“台本はあっても決してその通りには進行せず、時には客席も巻き込みながら、状況に応じてしなやかに芸を変えてゆく。大切なのは、その日その時のお客さんにとってベストなパフォーマンスをすること。”
これって、何かに通じるものがありませんか?…そう、これまで幾度となく取り上げてきた、渥美清や萩本欽一、ビートたけしら、浅草芸人の根底に流れている信条に、ぴたりと重なるんですね。
それもそのはず、活弁がのちの浅草大衆文化に直接・間接的に与えた影響は、計り知れないものだったのですから。
昭和4年、日本で初めてトーキー(発声)映画が上映されると、サイレント映画は急速に勢いを失い、最盛期には8000人ほどいたとも云われる活弁士は、軒並み廃業の憂き目に追いやられました。
しかし、そもそも彼らは、話術のみならず優れた発想力や構成力、頭の回転の速さなど、マルチな能力を持ち合わせていましたから、講談、落語、漫談、漫才などの道へ転じ、自らの才覚をいかんなく発揮することとなったのです。その活躍の場は話芸だけにとどまらず、大衆芸能のあらゆる分野に少なからぬ足跡を残しました。
時短くして散ってしまったかに見えた華やかなりし伝統芸・活弁のスピリットは今もなお、後世の芸人たちの中に脈々と受け継がれているのですね。
活弁界の将来を担ってゆくであろう若き女流弁士・麻生子八咫は言います。
「活弁が色々な芸能に影響を与えたのは事実ですが、忘れてならないのは、活弁もまた他の分野から多大な恩恵を受け、成立したのだということ。浅草大衆文化は相互に絡み合い、高め合いながら発展してきた、非常に層の厚いものなんです。その歴史を大切にしつつもチャレンジ精神を忘れず、この先も異分野とのコラボレーションなどを通じて、活弁界の活性化とともに浅草の新陳代謝にも尽力できれば、幸いです。」
先人たちが築いた歴史も浅草らしさなら、とんでもなく斬新なモノを生み出すのもまた、浅草らしさ。たとえお馬鹿さんと言われても(笑)、信念をもって真摯に取り組み続ければ、それがいつかは伝統芸となるのです。講談然り、落語然り、活弁も、然り。
…頑張れ、浅草の未来をしょって立つ、逞しき若者たち!
(口述筆記:高橋まい子)
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