フランス座に来てからちょうど1年が過ぎた頃、渥美は体調を崩し、少し休ませてくれと言ってきました。病院へ行ってみると、なんと肺結核!肺結核といえば、当時は死を意識せざるを得ない重病です。それもだいぶ進行していて即刻入院、右肺切除の大手術を受け、その後の療養生活は、3年近くにも及びました。そこで、彼は地獄を見たのだと思います。同じ病気の者が何人も死んでゆき、明日は我が身かと恐れおののく日々。おまけに自分が休んでいる間にライバルたちはどんどん売れっ子になってゆくし、下からもどんどん後輩が育ってくる…その焦燥感たるや、いかばかりだったことでしょう。
しかし一方では、入院中も闘病仲間を集めて、やっぱり笑わせていたらしい。“オイみんな、時間だぞ、俺の話を聞きに来い!”…ってな感じかな(笑)?本当に患者さんや看護婦さんたち、ゾロゾロ集まってきたらしいですよ。
やはり渥美は、天性のコメディアンなんですね。どんな状況でも、演らずにはいられなかったのでしょう。だからこそ帰ってきた時も演技が全く衰えていなかったし、それどころかむしろ磨きがかかって、人格もがらりと優しくなっていたんです。それはそれは驚きましたよ!以前の荒れ狂ったような激しさはどこへやら、酒も煙草も一切やらず、物静かで穏やかな男になってしまってたんだからね。そうか、苦難を乗り越えると、人間ここまで変わることができるのかって、当時まだ二十歳そこそこだった私も彼の姿勢から大いに学ばせてもらいました。
復帰後の渥美の勢いは、留まるところを知りませんでした。3年も仕事を離れていたのだからポジションを奪われていて然るべきなのに、仲間たちは「座長が帰って来たぞ!」と迎えてくれて。そしてその期待に応えるように、座長の名にふさわしい素晴らしい演技をするのです。本当にこの人は、物凄い役者なんだと思いました。そんな様子を見て、TVや映画の人間が黙っているはずもありません。引き抜きに合い、彼は復帰後1年足らずでフランス座を去りました。きっちりと筋は通してゆきましたよ。うちにとっては相当の痛手には違いなかったけれど、一方で父は、自分の劇場から役者が巣立ってゆくことを、誰よりも喜んでいたはずです。「成功して来いよ。」と、快く送り出しました。…私はちょっぴり、寂しかったですね(笑)。
TVの世界へ移ってからの渥美は、すぐに売れっ子になった訳ではないけれど着々と出演番組を増やし、NHKのバラエティー「夢で逢いましょう」をきっかけにスター街道を駆け上がり、そして映画「男はつらいよ」シリーズの寅さんに!その後の活躍は、皆さんご存知の通りです。
…ところで、渥美がまだ療養中だった頃、ひとりの大学生が脚本家志望として文芸部に入ってきました。彼は周囲から渥美のことを、“天才的な役者だが、とんでもない荒くれ者”と聞かされていたので、いったいどんな人なのだろうと、期待と不安半々で復帰の日を心待ちにしていたのですが、いざ会ってみると噂とは180度違う物静かで穏やかな人物だったので、目を白黒させてしまいました(笑)。しかし彼はどういうわけか渥美とぴったりウマが合い、互いにインスパイアされては次々と素晴らしい作品を生み出すことになるのです。この文学青年こそ後の大作家・井上ひさしなのですが、次号では、彼にまつわる物語を中心にお伝えすることにいたしましょう!
松倉久幸(浅草演芸ホール)
(口述筆記:高橋まい子)
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