浅草誌半世紀・名随筆の足跡<第11回>・瀬戸口寅雄「女左膳の頃」|月刊浅草ウェブ

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林不忘の小説「新版大岡政談」は、日活、マキノ、東亜の三社が競映、丹下左膳として大当たりに当たり、一篇、二篇、三篇と制作したが、実演でも大騒ぎであった。
大阪道頓堀の浪花座では、歌舞伎の坂東寿三郎の左膳、霞仙の櫛巻お藤、角座の剣劇は新声劇の中田正造が左膳、辻野良一の諏訪栄三郎、和歌浦糸子の当り矢お艶で大当たり、日活の大河内伝次郎の左膳は極め付きとなった。
各地に左膳専門劇団が続出した時、当時評判の女剣劇は「女左膳」で対抗、これも当たりに当たった。
圧倒的だったのは、浅草松竹座の不二洋子一座、不二洋子が東上、浅草の公演劇場(現在のキャバレー・スカラ座)に出演したのが昭和九年、女左膳を上演したのが昭和十二年で、中条喜代子や大内洵子らの女剣劇も、女左膳を出したが、不二の女左膳には及ばなかった。支那事変のまっさい中だから、剣劇が喜ばれたのだろう。

当時、不二一座の二枚目役者福田隆と評判女優松本ちどりが恋におちいり、二人揃って不二の前に頭を下げ、結婚の許しを乞うた。
福田は不二の弟子だが、松本ちどりは、剣劇王明石潮一座の樋口角兵衛の内弟子だったのを預かり、娘形として活躍してもらっていたのだが、もともと浅草評判の美女。浅草電気館の案内ガールだったのを、赤坂フロリダに引き抜かれ、ダンサーとなり、銀座の赤玉などを転々、樋口角兵衛の弟子となり、剣劇をおぼえたのだ。
不二は角兵衛に相談して、二人を結婚させたが、何故か、すぐ離婚した。不二も角兵衛も、開いた口がふさがらなかった。ところが、別れた途端、福田に召集令がきた。これを知った松本ちどりは、一切の支度をしてやって、出征を送った。
松本ちどりは、不二とも別れ、アトラクション専門の一座をつくり、各地を巡業していたが、出征した福田の消息は、筆者は知らない。

【作家・瀬戸口寅雄~昭和45年5月号掲載~】

※作品の転載を固く禁じます。

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