第158回芥川賞受賞者、若竹千佐子さんの作品、「おらおらでひとりいぐも」が話題になっている。
デビュー作で、それも64歳と云う年齢での受賞である。発表のニュースを耳にした時、私は只、ヘェーッと単純に驚いた。デビュー作で芥川賞なんて、一寸考えられなかった。候補に上がっても、何回も何回も落選すると云うのが、当り前の世界だと考えていたからである。
内容を知って二度驚いた。
冒頭から東北弁で表現されているのだ。
私の中の細胞がにわかに騒ぎ出した。
これはヒョッとしたら、私の語りの題材になるかも。早速出版されたばかりの本を買って読み始めた。面白い!何よりも同年代の女性として、共感出来る部分が盛沢山なのだ。これは、今、正に高齢化社会に生きる人達へのメッセージでもあり、応援歌なのだ。
〝やるっきゃない!〟いつもの血が騒ぎ出した。
早速、構成台本の作製に取りかかった。
幸い、3月は例年よりも公演の回数が少なく、台本作りにはうってつけの時間がたっぷりある。何度も何度も原作を読み直し、語り手として自分が伝えたい部分を脳裏にたたき込み、イメージを膨らませていく。もちろん作者の想いを汲み取りながら……。
その上で初めて台本として書き写す作業に入る。私の場合B4のコピー紙を半分に折って、片面10本ずつの罫線を引き、筆ペンで書き入れるのであるが、文字がかなり大きい為、一頁の文章を写すのに4枚は必要となる。
唯、お客様にお聞き頂く場合、どんなに面白くても40分~50分位に纏めるのを基本としているので、作者の方には大変申し訳ないのだが、一部カットさせて頂かなくてはならない。ここが一番辛いところである。
主人公は桃子さんと云う70歳を越えた一人暮しの女性、作者若竹千佐子さんに投影される。この桃子さんの日常の中に、最近富に幅を利かせているのが東北弁の出現だ。
作者は岩手県遠野市の生まれである。しかし、若い頃上京し結婚生活に入り、2人の子供を儲けて、平凡ながらも幸せな生活を送っていた。それが一転したのは、夫の死に遭遇してからだ。悲しみと絶望の中で立ち上がれない日々が続いた。作者55歳の時である。あまりに悲しんでいる母親を心配して、息子さんが小説教室にでも通ったら、と背を押してくれたのだと云う。
作品の中の桃子さんは70歳を越えているが、作者の若竹さんは64歳である。作者は10年先の自分を見つめているのだろう。上京してからの生活の方が長くなっている作者に、東北弁は過去の異物である筈だ。
それなのに……。
桃子さんの頭の中は、だだ漏れる東北弁で溢れている。
あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべがどうすっぺぇ、この先ひとりで、如何(なんじょ)にすべがぁ
東北弁なんて、とっくの昔に忘れ果てていたと思い、自分とは縁の無いもの、と思っていた桃子さんは、この自分の中に涌き出る東北弁の出現に戸惑いながら、心の中と向き合って見た。作者はこの内なる声を、小腸の柔毛突起と表現している。無数の柔毛突起が自分に向かい問いかけてくる。これが全部東北弁で……。
柔毛突起とは、何んと上手い表現だろう。読んでいて思わず吹き出してしまった。ゆらゆら体を揺らしながら、この柔毛突起が桃子さんの本音を突いてくるのである。
桃子さんの思考は時々飛ぶ……と云う。これは、私にも共通する所はある。今、これをしながら、すぐ別の物に手を出す。会話もそうである。話題が次々と変わる。こんな事は日常茶飯事で、別に驚くべき事ではない、と思っていた。
桃子さんは、年のせいだべが、と考えながら、いや違う、何もかも年のせいにするのはよくない、と思う。んだば、あれのせいだ。長年の主婦という暮らし。
桃子さんの心の中に次々と問いが生まれ、又、それにあちこちから声の応酬が始まる。
たとえばぁ。
一日中、木を切っている与作さんとは違うべ。
ほだ。それに女房は機はたを織ってるべしたら。
ほでねば、与作と同じ時間だけ機を織っていたとは考えにぐべ。泣く子に乳を与えながら、そろそろ姑の汚れた下(しも)を取り替えねばと考えつつ、晩のお菜はなんにすべなどと考えていたことは、想像に難くねのす。
常にあれもし、これもすることを求められれば、つい考えは飛び飛びになるべしたら。
確かに、主婦の仕事は多様である。
洗濯機を廻しながら掃除機を掛け、夕飯の下ごしらえをしているなんてのは朝飯前、こんな日常を50年以上も続けていれば、思考が飛ぶのも納得である。
つまり、男と女とでは資質が違うのである。
夫に死なれ、自分の老いと戦いながら、この先どうやって生きていけばいいのか。
作者はここで、ふとある事に気が付いた。
絶望に打ち拉がれている自分と、もう一人喜んでいる自分の存在を知ったのだ。悲しみは悲しみだけでなく、そこに豊穣が有ると若竹さんは言う。
考えてみれば、大方の女性は夫の為に、子供の為にを一番に考えて生きている。今、ひとりになって、やっと自分の為にだけ、を生きられるのだ。そんなに長い時間ではない。だったら精いっぱい羽搏こう。
高齢化時代の真只中にあって、この桃子さんの前向きな考え方は、生きる指針であり、哲学だと思う。
140頁に及ぶ台本が完成した。何んとしても、これは〈ことば〉で伝えていかなければならない。
そんなある日。
毎年恒例となっている君津市での公演の折、若竹千佐子さんが隣の木更津市に在住している事を知った。その上に何んと、今回の主催者の友人は若竹家の隣の住人だという。一気に距離が縮まった気がした。そのご友人を通して、とりあえずここに一人、この作品を語ってみたい、と思う人が居る事だけでも伝えて貰おう。そして、いつの日か皆様にも聞いて頂けたら……と、私の夢も果てしない。
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