「四谷コタン」心と表現<第4回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ

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月刊浅草

「四谷コタン」は、小さなライブハウスである。
新宿区若葉町1丁目、JR四谷駅から徒歩5分程の場所で45年余、ライブハウスとして多くの逸材を輩出してきたのである。
我が師、三上左京が役者時代、仲間を集めて、詩と小説を演ずる「可否の会」を設立、その拠点となった「可否茶館」が前身である。師の談によれば、近くの文化放送で仕事の帰り、完成間近かのビルの一階部分に目が止まり、そのまゝ不動産屋へ飛び込んで即契約、何んとも計画性を欠く無鉄砲な話ではあるが、事が動く時と云うのは、そんなものかも知れない。
そして、1970年12月、詩のある館「四谷コタン」が誕生、活動拠点を求める若者達に空間を開放、ジャンルを問わず〝毎日がライブ〞を目指して運営されたのである。シンガーソングライターとか、ライブスポ ットなどの言葉が流行し始めた、正に草分け的存在で、
30人入れば満席と云う小さな空間は、若者達の熱気で溢れ返っていたと云う。
10年後、役者稼業に見切りを付けた師は、空いているライブハウスの昼の時間帯を利用して、〝女性の為の朗読教室〞を開講、自身も40歳の坂を越えていた頃であった。
新聞の片隅にあった、小さな案内広告が目に止まり、師の門を叩いた私が、あれから36年、舞台朗読の道を歩くことになろうとは……。
初心者が樋口一葉作品への挑戦も拒まず、温かく見守り指導して下さった師のお陰で、間違いなく今日の私があるのだ。作品の仕上がりが近くなると、「試演会」と称して一般の方々にご覧いただくのであるが、会場がライブハウスである利点で、照明器具は立派に揃っており、一端の女優気分になれる。
その「四谷コタン」が、ビルの老朽化の為建て替え工事に入り、四月いっぱいで閉店を余儀なくされたのだ。稽古場でもあり、アトリエ公演の場でもあった「四谷コタン」の閉店は、我々にとっても大きな打撃である。経営者が途中師からK氏に替って20年余、ずっと同じ条件で受け入れて下さった、その優しさに甘えて過ごした日々が甦える。
そして「四谷コタン」から育っていった多くのアーティスト達、彼らの思いもきっと同じであろう。
シャンソンの井関真人、フラメンコの田中美穂、ちびまる子ちゃんでブレークした声優TARAKO、秦琴の深草アキ、薩摩琵琶 平山万佐子、南島詩人平田大一、オペラの中島啓江、独特の語りで人気の俳優坂本長利、そして落語家林家かん平、当時は全く無名だ った彼ら、枚挙に遑が無い程の人達が、この小さな空間から世の中へ出たのである。

中国の古楽器、秦琴奏者の深草アキさんには、「蜘蛛の糸」を上演する折、その挿入曲を作って貰った経緯がある。彼のライブを何回か聞きに行き、その音色の奥深さに魅せられて、厚かましくもお願いしたのだが、今思えば本当にラッキーだったと思う。
それから間もなくNHKの大河ドラマ「武田信玄」のテーマ曲を作曲、その不思議な音色は日本中を魅了しブレイクしていったのである。
シャンソンの井関真人さんは、同じ市川市民と云う事もあり、何度かジョイント公演の機会に恵まれていた。最近でも年に一回「語り手と唄い手の一夜」と題した小さなライブ公演を続け、今年はその8回目を迎えている。役者からシャンソン歌手に転身した彼の話芸は絶妙で、ドラマチックシャンソンとも言える独特の世界を作り上げ、ご婦人達から熱烈な支持を得ている。南島詩人平田大一さんは沖縄県小浜島のご出身、沖縄では今や知らぬ人が無い位の有名人で、世界遺産
かつれん
となっている今帰仁城、勝連城などの城跡を舞台に、島の歴史を壮大なスケールで表現、中高生に演劇の素晴しさを伝導しているエネルギッシュな島人である。
年の沖縄通いで、何度か彼に逢う機会もあり、その度にコタンに出演していた頃の話で盛り上がり、又、原点だった遠い日を懐かしんでいる様子だった。
オペラの中島啓江さんは、良く昼の私共の稽古場にヒョッコリと現れ、師と雑談を交わして去っていくのだが、何せあの巨体である。ライブハウスの小さな椅子4脚使ってドッカと座る。目の前で間近かに見ると、やはり圧倒されるが、気取りのない明るい性格で、早すぎる死を知った時は胸が痛んだ。
長いコタンの歴史の中で、ユニークな存在はやはり林家かん平さんかと思う。
7代目橘家円蔵に弟子入りしたものの、破門された回数9回、一念発起するつもりで勉強の場として選んだのが「四谷コタン」。出演を重ねている内に、お客の間から必然的に10回目の破門だけは避けさせようと、「六蔵に天下を取らせる会」が誕生、当時はまだ二ツ目で六蔵と名取っていた彼の有難い応援団である。
回を重ねる事100回、その記念公演の日に真打昇進が決まり、林家かん平と名を改めたのである。長い道のりであった。しかし、1990年脳内出血で倒れ、残念ながら長い間高座からは遠ざかっていたが、リハビリの成果もあって、最近では車椅子で新作落語を披露するまでに回復していると云う。
私も稽古場で、元気だった頃のかん平さんに何度かお逢いしていたが、驚いたのは私の博品館、三越劇場などの舞台で音響技師のS氏が、彼の実弟だと聞いた時である。縁は異なもの……とは良く聞かれることばだが、何処かで皆が繋がっている気がした。
又、「四谷コタン」には、数々の著名人が〝特別講座〞と云う名目で、その名を連ねていた。
俳優座の長老千田是也、舞台美術の第一人者朝倉攝、作家寺山修司、世界的ギタリスト中林涼真、書家小林抱牛の各氏である。
ほとんどの方が鬼籍に入ってしまって淋しい限りではあるが、ギターの中林先生は80歳を越えて尚、矍鑠としており、カーネギーホールその他世界中でご活躍である。
「四谷コタン」の小さな空間で、産ぶ声を挙げた〝南水ひとり語り〞は、今や各地で待っていて下さる人々の心に、日本語の美しさをお届け出来るようになったのである。
「四谷コタン」万歳!そして、ありがとう。

熊澤南水, 2016年

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