『2月1日(月)、JAL921便で26年目となる沖縄公演へ飛び立った。
暖冬かと思われていたが、一転して冬将軍が暴れ出し、本州は連日厳しい寒さに見舞われていた頃である。
那覇空港に到着したのが19時30分気温17度、小雨模様のほわっとした暖かさだった。
途端に、全身の筋肉が緩む。
今回は約2週間、沖縄本島の南から北まで、縦断公演と云った形になる。
この時期の沖縄は、プロ野球のキャンプが各地で開幕、加えて中国の春節を中心にドッと観光客が傾れ込み、街は活気に溢れている。お陰でホテルは何処も満杯、2週間近い期間を同じホテルで過ごす事は難しく、斯くいう私も途中で移動と云う羽目になってしまった。作品を替える度に当然の事ながら衣裳も違う。和服は嵩高もあり、まるで小さな引っ越し程の荷物を持ってホテルの移動は並大抵では無い。しかし、そこを手を抜かずに努力しているからこそ、26年もの間継続して来られたと云う事なのだろう。
先ず最初の会場は、県南部地区小中学校の読み語りボランティア〝ブックカフェ〞の集会からスタート、ここ数年訪沖の度に勉強会を持ったり、小さな朗読会を開いては︑お互いを刺激し合い︑情報を交換しているグループでもある。加えて今回は会場となっている、八重瀬島尻教育センターの所長さんのご好意で、共催と云う形になっているとか、従って会場には所長以下、目下研修中の若い先生方の姿も見られ、拙い講演に耳を傾けて下さったのである。
初めての会場となったのが、介護付有料老人ホーム「ポート・ヒロック」である。浦漆市牧港の小高い丘の上に建つ、一見ホテル?かと思われる瀟洒な建物で、中に入るとこれはホテル以上に行き届いた設備とセキュリティが完備され、終の栖に相応しい感があった。オーナーのFさんとは初対面だったが、笑顔の素敵な知的な方、それもその筈、系列のK病院々長夫人で、ご自身も薬剤師として重要な役割をしている傍ら、「ポート・ヒロック」の取締役代表を兼任して居られるのである。趣味で続けていらっしゃると云う「源氏物語を聴く会」のお仲間の一人が、長い間私の舞台を応援して下さっているTさん、貴重なご縁を結んで下さっての第一回目だったが、倖い樋口一葉の「十三夜」は、足を運んで下さった皆様に喜んでいただく事が出来、来年の再演を約して会場を後にしたのである。
10年以上も前から足を運んでいるのが、那覇市立古蔵小学校。低学年高学年に分けて午前中の2時間を、毎年〝語りを聞く会〞として恒例になっている。全校生徒800人余、びっくりする程聞く態度が出来上り、作品の要点をしっかり掴んで、学びの中に活かしてくれているのは何よりも嬉しい。
今や身内同然のおつき合いに発展しているのが浦漆市在住のHさん、お嬢さんが中学生の頃に知り合い、その子が今や2人の子供の母親に……お互い時間の流れの早さに驚きを隠し切れない。そのHさんが骨を折 って下さって3回目を迎えるのが、首里汀良町にあるカフェレストラン〝リリーローズ〞での会である。ランチ&語りを聞く会として定着し、会場には馴染みのお顔が勢揃い。この日は北朝鮮がミサイルを発射する日と重なり、街に流れる防災無線の声に少し緊張したが、沖縄上空を午前9時30分過ぎに通過、何事も無く 「ちっちゃなかみさん」に、温かい涙を流して下さって……幸せな午後のひとときが過ぎていったのである。
昨年の夏、北部やんばるの奥間小学校へ足を運んだ折、講演依頼の内定を受けたのが、全島中学校国語研究会での講師である。会場は名桜大学にほど近い北部生涯学習センター、有名な寒緋桜が今年は少し開花が遅れたと云う事で、まだ充分に楽しめる2月10日、離島も含め各地から100名余の国語の先生方が、一堂に介しての研究会である。与えられた90分の中で「ことばは生きている」の講演と、山本周五郎作「二粒の飴」の語り、公開授業その他でお疲れもピークに達している先生方が、これも熱心に耳を傾けて下さったのである。
7月のテンブス館「朗読・夢舞台」に載せる後輩の稽古に立ち合ったり、FM放送局での収録をしたり、滞在中は目いっぱい予定が入っていたが、沖縄の旧正月に当る8日に、打合わせの約束で訪れた沖宮で、思いがけないお年玉を戴く事になったのである。
2年前、友人の紹介で神社を訪れ、名刺交換をさせて頂いたご縁で、テンブス館での舞台をご覧頂いた経緯はあるが、出発の2日前、禰宜のU氏から突然お電話を頂き、内容も解らぬまゝに訪れた沖宮は、琉球八社のひとつで奥武山公園の一角に社殿を構え、パワースポットとして若者の人気を集めていると云う。近年巨人軍がキャンプ入りの前には必ず訪れ、必勝祈願を欠かさないとか。
本殿で参拝した後、案内された部屋には既に5・6 人の方が、配られた書類に目を通しておいでの最中だ った。紹介されて名刺交換をし、その後でざっと伺った説明に、私は身が震えた。
「奥武山大琉球神楽」と云う催しが、今年6月(日)に、沖縄の武道館で昼夜2回公演で予定されている。神話をテーマに「古事記」「日本書紀」の世界を壮大なスケールで舞台化、メインゲストには、世界的和太鼓奏者の林英哲を迎えるのだと云う。90分の舞台には琉球舞踊や琉球太鼓、抜刀、空手などの演武、珍らしいところではベリーダンスも加わって、息をも付かせない迫力になるらしい。中でも棋頭保存会が総出で舞うシーンは圧感だとか。
全体を、仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌の八節に分け、それを創造創生の章、誕生躍動の章と云った具合に4つの章でまとめるのだと云う。そこで、私の役割は……と云う事になるのだが、これまでは字幕スーパーで伝えていた合い間の解説を、水先案内人として肉声で伝えたらどうだろうと云う事になって、ハタと思い出して下さったのが、2年前の舞台だったのである。〝南水さんにお願いしてみよう〞、斯くして白羽の矢が当り、6月26日思っても見なかった沖縄の武道館の舞台に立つ事になったのである。
沖縄通いは私の「命薬」、常々そう思っていた事が、現実となった瞬間でもあった。
半ば目を閉じながら、そう伝えて下さる先生のお言葉に、私は大きな力を頂いた気がして、この夜は他に何も伺わず、お礼を述べて自室に戻ったのである。
それから数ヶ月後、お礼と公演成功のご報告を兼ねて、初めて先生のお宅に伺った時の事である。お茶を飲みながら、何気ない会話を交わしている最中に、
〝待乳山聖天じゃ!〞
突然先生の声が、野太い男の声になり呪文を唱えはじめたのである。時間にして多分1、2分位であっただろう。「あゝ……びっくりしたわ。聖天様が私の中に降りていらしたのね、長い間こんな事しているけれど、初めての体験だったわ」
我に返った先生も、驚きの色を隠し切れないご様子、ましてや側に居た私には、何が何やら全く解らず、や っとご自分を取り戻した先生に伺うと、
「貴女はこれから聖天様をお頼りになられたらいいようですよ。一身にお信じになれば、必ずお力になって下さいますから」それから数日して、私は初めて浅草聖天町の「待乳山聖天・本龍院」を訪ねたのである。飛鳥時代、地中から忽然と隆起した山を、金龍が天から舞い降りてこれを守護し、それから6年後の飢餓の際、救済の為に現れた大聖歓喜天(聖天さま)が、この霊山に鎮座されたと云うのが起源との事、以来1400年もの間、その信仰は脈々と受け継がれて、今日に至っていると云う。
境内のあちこちに、大根と巾着の刻印が見られ、不思議に思って尋ねると、大根は体内の毒素を中和して
化を助ける働きがあり、清浄な心と身体を保つ為の大切な食品である事、そして巾着は、人間誰しも持つ金銭への欲望、貧りを戒める為の象徴として有るのだと云う事が理解出来た。つまり聖天様は分りやすく云えば、健康とお金の神様と云う事にならないだろうか。聖天様独自の浴油祈祷も私を納得させた。私達が聖天様に様々なお願いをする。それは垢のように積って聖天様のお身体を覆う。この汚れは水でもお湯でも落ちない。落せるのは油なのだと云う。家内安全、商売繁盛、交通安全、年頭に様々なお願い事をその身に受けた聖天様は、今日も油でその身を拭いながら、庶民の声に耳を傾けて下さるのである。
毎年恒例となっている一月七日の大根まつり、お供物として捧げられた大根を、ふろふきにして参拝者にふるまう、と云うものなのだが、年々噂が広がり長蛇の列が出来るようになったのは嬉しい事である。
京の師走の風物詩に千本釈迦堂、大報恩寺の大根炊きがある。
西と東、場所は違っても根底に流れる思いは、無病息災、平穏な世の中を祈る心に変わりは無い。