「それぞれの春」心と表現<第3回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ

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熊澤南水

四月は例年の事ながら、入園、入学、就職と、それぞれ希望に胸膨らませて第一歩を踏み出す、新生活スタートの月である。12人いる我が家の孫達の中にも、その日を心待ちにしているのが数人、従って祖母である私も又、あれやこれやと忙しくなる。
12人の末っ子は男の子、5女の二男である。この春ピカピカの一年生になり、これで全員学校に通う事になった。群馬県中ノ条町、田舎の匂いが色濃く残る自然いっぱいの中で、二男坊らしくやんちゃで伸び伸び育っている。
消防士としての任務を果たし、その上でアマチュアスキー大会で、常に上位入勝の父親の血を受け継ぎ、運動神経は抜群、将来は間違いなくアスリート?の道を、と期待している。3歳違いの兄は周囲の予想に反して運動は苦手だとか、〝医者になる!〞と云うのが最近の口ぐせ、心変わりしないで欲しいと願っている。
昨年の秋、早々に送ったランドセルを背負った弟と、仲良く登校している事だろう。
横浜市内に住む二女と三女の処にも、高校一年生が誕生した。
二女の長男は私立高校へ。ずっと少年野球を続け、従って高校へ入ってからも野球を続けたいと云う希望で︑自ら学校を選び昨年の暮れには推薦で入学許可を貰っていた。熾烈な受験戦争から免れた格好になったのが、本人に取って良かったのか否か、答は先にならないと解らない。
銀行マンの父は、単身名古屋で頑張っており、週末には戻って少年野球チームの世話をしている。アメリカン・フットボールの司令塔として優秀な選手だった父の背を、しっかり見て育った彼のこと、弟と妹に自慢の兄と慕われる様な人間になって欲しい。
三女の長女は、念願の県立高校に合格している。これには厳しく長い道のりがあった。
幼い頃からフィギュアスケートに熱中、両親を巻き込んでの早朝練習に始まり、トレーナーやコーチに掛かる費用は、半端なものではない。競技大会に出場するようになって来れば、遠征の費用その他と、いくらお金があっても足りない位である。お金持ちのお嬢様ならいざ知らず、事も有ろうに5人の娘の中で、一番厳しい環境に在る三女の家なのだ。夫は塗装を中心にリフォーム一般を手掛ける職人、人柄も腕も一流なのだが、儲け仕事が出来ない善人なのだ。数人いる職人達に給料を払うのがやっと……と云う生活が、長い事続いている。事務を手伝いながら、遣り繰り算段する娘の苦悩を想うと胸が痛い。
それでも何んとか薄氷を踏む思いをしながら、年を越して来れたのは、天に見離されていない証拠であろう。誠実に、謙虚に、地道に仕事をしていれば、必ずいい結果に繋がるのである。
こんな生活環境の中でのスケート人生、最後の賭けが昨年9月、千葉市幕張のリンク〝アクア〞で開催された大会だった。出場者全員この日の為に、一年間厳しい練習を重ねて来たのである。
氷上のスポーツに付き物の冷えによる腰痛や、怪我と戦いながら、彼女もこの日天王山を迎えていた。
しかし、残念ながらこの日の得点は、及第点に達する事が出来ず、結果不発に終ってしまったのである。
中3の秋、と云えばクラスメートは既に、受験に向けてスイッチが入っている時期だ。この時の彼女は、恐らく〝どん底〞に追い込まれていた状態だったろう。
そして、出した答えが、〝全中に向けて頑張る!

一それも駄目だったら、スケートを辞める〞と云うものであった。
全中とは、「全国中学校スケート競技会」の略で、中3の彼女に取っては最後のチャンスでもある。
浅田真央人気で、今やフィギュアスケートは、ウインタースポーツの花形、しかし、その練習は難行苦行の連続である。午前4時からの早朝リンク通いは、両親のどちらかが付き添い、終った娘を今度は学校まで送る。朝食は車の中で済ませ、親は自分の仕事場へ。一日の勉強を終えた娘を迎えに行き、再びリンクへ。これが一年中続くのである。
技術が身に付いて、少しづつ級が上がっていくのが何よりの励みにはなるが、親娘共々覚悟が必要な事は確かだ。
全中に出場出来るのは80名余、47都道府県から選出された精鋭が、長野オリンピックの会場だった、あの〝ビッグ・ハット〞に集まるのだ。その為の選考会が横浜のリンクで行われたのが11月14日、この「ウインタートロフィー」で、自己ベストを出し、見事神奈川県代表4名の中に入って、全中出場権を手にしたのである。受験勉強との二筋道を、歳の少女はこの時必死で歩いていたのだ。
そして、年が明けて1月31日、「全国中学校スケート競技会」は幕を開けた。
残念ながら私は翌日からの沖縄ゆきを控えていたので、現地に応援に行く事は出来なかったが、〝どうか練習の成果が出せますように〞と、心の中で祈っていたのである。
ほゞノーミスに近い演技が出来、自己ベスト更新と云う結果ではあったが、全国の壁は厚く、翌日のフリーへ進む事が出来なかったのは返す返すも残念であった。本人は、持てる力を出し切った結果に納得し、気持を切り替えて、高校受験に向けてまっしぐら。
私立の合格は決まっていたが、何んとしても県立に合格しなければ、スケートを続ける事が出来ないのは、彼女が一番良く解っている筈、発表までの二週間が、どれ程長かった事か。
〝合格〞の報は、スケートの継続をも意味し、文字通り明るい春の到来となったのである。
〝貴女を尊敬しますよ〞と言って下さった担任のひと言が、喜びを倍加させたのは間違いない。厳しい練習を重ねながらの受験勉強を、見守っていて下さった人の、魂のひと言は重い。一生忘れないで欲しい。
背丈だけは大人並みでも、2人共中身はまだまだお子ちゃま。誤った道を歩かぬ様、周囲の大人が常に眼を掛けてやらなければならない年頃でもある。12人の孫達の行く末を、何処まで見守ってやれるか……宝箱の蓋を開ける楽しみは続きそうだ。

半ば目を閉じながら、そう伝えて下さる先生のお言葉に、私は大きな力を頂いた気がして、この夜は他に何も伺わず、お礼を述べて自室に戻ったのである。
それから数ヶ月後、お礼と公演成功のご報告を兼ねて、初めて先生のお宅に伺った時の事である。お茶を飲みながら、何気ない会話を交わしている最中に、
〝待乳山聖天じゃ!〞
突然先生の声が、野太い男の声になり呪文を唱えはじめたのである。時間にして多分1、2分位であっただろう。「あゝ……びっくりしたわ。聖天様が私の中に降りていらしたのね、長い間こんな事しているけれど、初めての体験だったわ」
我に返った先生も、驚きの色を隠し切れないご様子、ましてや側に居た私には、何が何やら全く解らず、や っとご自分を取り戻した先生に伺うと、
「貴女はこれから聖天様をお頼りになられたらいいようですよ。一身にお信じになれば、必ずお力になって下さいますから」それから数日して、私は初めて浅草聖天町の「待乳山聖天・本龍院」を訪ねたのである。飛鳥時代、地中から忽然と隆起した山を、金龍が天から舞い降りてこれを守護し、それから6年後の飢餓の際、救済の為に現れた大聖歓喜天(聖天さま)が、この霊山に鎮座されたと云うのが起源との事、以来1400年もの間、その信仰は脈々と受け継がれて、今日に至っていると云う。
境内のあちこちに、大根と巾着の刻印が見られ、不思議に思って尋ねると、大根は体内の毒素を中和して
化を助ける働きがあり、清浄な心と身体を保つ為の大切な食品である事、そして巾着は、人間誰しも持つ金銭への欲望、貧りを戒める為の象徴として有るのだと云う事が理解出来た。つまり聖天様は分りやすく云えば、健康とお金の神様と云う事にならないだろうか。聖天様独自の浴油祈祷も私を納得させた。私達が聖天様に様々なお願いをする。それは垢のように積って聖天様のお身体を覆う。この汚れは水でもお湯でも落ちない。落せるのは油なのだと云う。家内安全、商売繁盛、交通安全、年頭に様々なお願い事をその身に受けた聖天様は、今日も油でその身を拭いながら、庶民の声に耳を傾けて下さるのである。
毎年恒例となっている一月七日の大根まつり、お供物として捧げられた大根を、ふろふきにして参拝者にふるまう、と云うものなのだが、年々噂が広がり長蛇の列が出来るようになったのは嬉しい事である。
京の師走の風物詩に千本釈迦堂、大報恩寺の大根炊きがある。
西と東、場所は違っても根底に流れる思いは、無病息災、平穏な世の中を祈る心に変わりは無い。

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