浅草おかみさん会の富永照子会長の笑顔を久しぶりNHKのニュースの画面でおみかけした。都知事候補の一人・小池百合子さんを囲んで談笑しているシーンであった。
その小池百合子さんが見事当選。7月31日午後8時の投票締切り時には「当選確実」と報じられるほどの圧勝となった。浅草おかみさん会の面々に囲まれた小池さんが「こんなに沢山の人たちに応援していただいて」と話したのに対し、富永さんが「男気、男気」と語っているシーンが音声入りで流された。都民の多くの人々が小池さんの勇気に感じ入って一票を投じた結果が、当選へとつながったのであろう。
今回の都知事選は、これまで最多の21人が立候補した。しかし争いは3人にしぼられた。真っ先に手をあげた小池さん。自民・公明にかつぎ出された増田寛也さん。野党四党統一候補の鳥越俊太郎さん。名前で判断すると、「こう行け」といえる「有利な子」、都民の悩みや苦労が「増すだ……」、都民の「取り越し苦労になる」となって、やはり小池さんの勝ちである。
「崖からとび降りた気持」と表現して、自民党の推せんを受けるのを取り止めて、都政の透明化、みえる化を訴え、みどりの応援色を動員し尽したことが成功した小池さんである。
増田さんは自民・公明の組織票を頼りとしたが、知名度は低く、3期12年にわたる岩手県政の業績も芳しいものではなかったことが伝わっての敗戦となった。
鳥越さんは「あと出しジャンケン」の感がぬぐえず、しかも野党の中からしぼり出された候補でなく、四党の上に乗っかった形となった。後期高齢者で、健康上の問題も危惧された。週刊誌の女性スキャンダル報道も痛手となったで
あろう。
こうしてみてみると、きわめて当然の帰結であったといえる。筆者は一度だけ小池さんと言葉を交わしたことがある。小泉首相の刺客として兵庫の選挙区から東京10区(豊島区と練馬区の一部)へ鞍替えしてきた時、区議の小峰博さんがサンシャイン40階のサロンで開かれた豊島稲門会の懇親会へお連れした時である。「小生意気だ」と評する人もいたが、私は「さわやかで聡明な女性だ」と思ったことを憶えている。
いずれにしてもこれからが正念場である。すぐれたブレーンを置いて向う4年間、しっかり都政の梶をとってもらいたい。そして確たる業績を残し、ぜひ2期目に臨んでもらいたい。都民全員の願いであろう。
昭和の時代に活躍した人たちの訃報が相次いだ。永六輔さん(享年83)、大橋巨泉さん(82)、⽥ザ・ピーナッツ⽦の伊藤ユミさん(妹・75)、ピアニストの中村紘子さん( 72)、元横綱千代の富士(九重親方・61)。
永さんには「永遠の別れ」、巨泉さんには「巨泉墜つ」の見出しが新聞にみられた。
千代の富士の全盛期、国技館へ何度か足を運んだことがある。中村紘子さんは、娘がロサンゼルスの大学に入っていて、その卒業式に行った折、ユニバーサルスタジオを訪ね、入口を入った所にどなたかと立話をされているのをおみ
かけした。伊藤ユミさんはテレビでみていただけである。巨泉さんは、たしか緑内障を病まれて、治療薬を出している製薬会社の記者会見にゲストとして出席されたことを覚えている。いまはないが京橋のホテル西洋の一室であった。永さんとはずい分とお会いしている。
TBSラジオで「松ちゃんの健康歳時記」を4年間、月~金の毎朝放送していた時22週間に一度録音に通ったが、その折によくおみかけした。パントマイムのマルセ太郎さんを贔屓にされて、その司会を必ずつとめていらした。ご自分の講演でも、毎年一度日本橋の三越劇場で開かれていた「やなぎ句会」でも、必ず開演前に幕前へ現われて、客席の雰囲気をやわらげていらっしたことが忘れられない。
「やなぎ句会」のメンバーは錚々たるものである。入船亭扇橋、柳家小三治、桂米朝(大阪在住なので三越にはほとんど出られなかった)。矢野誠一、大西信行、小沢昭一。永さんの俳号は六輔の六をとって「六丁目」であった。互選で入選句を決めてお互いが持ち寄った賞品を進呈する仕組みで、その合間に各人がスピーチを披露した。ゲストも多彩で、俳句界の黒田杏子さんや女優の吉行和子さん、富士真奈美さんらであった。
永さんはパーキンソン病で車椅子の生活が長かった。毎日新聞に書かれたエッセイの一節が面白い。
インドネシアから来ている介護士の青年が永さんに元気になる歌があるから一緒に歌おうといった。なんとそれは「上を向いて歩こう」であった。
浅草四方八方噺(よもやまばなし)<第9回>松井天遊|月刊浅草ウェブ
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