明治四十年ごろの、浅草公園の地図をみると、一区から七区になっていて、一区はいうまでもなく、金竜山浅草寺から発している。二区は時の鐘で知られる弁天山あたりで、区役所通りにある料亭「宇治の里」が、二区にあった。伝法院裏に公園 […]

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