狂言は、『新舞台巌楠』『一谷嫩軍記』『寿二人猩々』『袖浦恋紀行』などで、一番目の『新舞台巌楠』は、黙阿弥の新作で太平記の兒島高徳や楠木正成を書いたもの。この時も自然を尊び写実を重んじたので渋くなりすぎ評判は良くなかった。『真田幸村』の木無しの幕どころか、観客を呆然たらしめる演出をして團十郎は独り悦に入っていた。
2幕目の院庄行在所(いんのしょうあんざいしょ)の雨の闇に團十郎の兒島高徳が無造作に出てきて桜の木を削り詩を書く。そこへ訥弁の六篠忠顕が塗高下駄をかたりかたりとさせて出る。高徳は書終って振り向きもせず黙々と引込む。忠顕は詩を読み思入れをして頷き見送るといった渋い情景で幕を引いた。
世間の不評を耳にして「まだ早いかな」と團十郎は述懐したそうだ。
あまりの悪評だったので急遽2幕ばかり省いて、代りに『一谷軍記嫩軍記』の組討と陣屋を出した。『巌楠』の代りに成るべく派手にと表方から注文したという。
この時、江戸時代に行われていた河原崎座の脇狂言『猩々』を『寿二人猩々(ことぶきににんしょうじょう)』として復活、團十郎と国太郎とで演じた。猩々が千年の寿を祝うという、能楽うつしの荘重さと歌舞伎舞踊独特のはなやかさを兼ねそなえた典雅でおめでたい舞踊だ。
その舞台に本物の能衣装を用いている。それは、團十郎の後援者であった山内容堂公の遺物の能衣裳を買い求めたものだという。
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