<第17回~巨匠・稲垣浩監督とともに消えた幻の無法松~> あれは、渋谷仁丹ビルの芸能人御用達バー『ドンキホーテ』で、可愛がっていた太地喜和子と飲んでいた時のこと。酒豪で知られる喜和子が、自分よりも飲める女を紹介するという […]
続きを読む浅草誌半世紀・名随筆の足跡<第3回・寺内大吉「焼けトタンと赤とんぼ」>月刊浅草ウェブ
ぼくがひんぴんとその街へ出かけたのは、街のすべてが赤裸にむかれた直後のことであった。その街とは浅草吉野町。一瀬直行さんの寺があった。空襲のまっさかり、僕は一瀬さんと増上寺で発行している信仰雑誌を編集していたのである。編集 […]
続きを読む【浅草文庫講演会の記録】<第4回>原えつお|月刊浅草ウェブ
~『浪曲と浅草』より・桃中軒 雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)④~ ◆『浅草文庫』は、浅草観光連盟が昭和52年に設立した、浅草に関する文献やさまざまな資料が収蔵された私設図書館でした。(平成23年、惜しまれつつ閉館。 […]
続きを読む「中清」浅草公会堂前の別世界!数寄屋造りの個室で上質な時間を。<第26回>まい子のぶらり散歩。
第26回「中清(なかせい)~天麩羅店~」 今回ご紹介するのは、浅草公会堂の真正面に店を構える創業147年目の天婦羅店「中清」。通りの喧噪にくるりと背を向けた瞬間、そこには別世界のような静けさが広がります。さぁ、時代の暖簾 […]
続きを読む「子宝」心と表現<第24回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ
【銀(しろがね)も金(こがね)も玉も何せむに勝(まさ)れる宝子に及(し)かめやも】 万葉の歌人、山上憶良の短歌(うた)である。 11月22日ご招待を受けて、私はとても素敵な宴に参列していた。30年近い間、私の活動を温かく […]
続きを読む浅草四方八方噺(よもやまばなし)<第6回>松井天遊|月刊浅草ウェブ
「浅草はなぜ日本一の繁華街なのか」を読んだ。著者は、すき焼き「ちんや」6代目の住吉史彦氏。浅草生まれ浅草育ちの9人の方との対談集(晶文社、1,600円+税)で、住吉さんは聞き手である。近世をふり返って浅草は、大正12年の […]
続きを読む浅草紙ここにありき<第11回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ
「昔、吉原のそばに紙漉(す)き場があって、紙屋の職人が紙を水に浸して、待っているのが退屈だから紙の冷やける間、ひと回りまわろうってんで゛冷やかし〟という名前がついたんですな」 古今亭志ん生師匠の『二階ぞめき』では゛冷やか […]
続きを読む「深見千三郎、阿部昇二、町田金嶺」伝説の芸人から、浅草オペラのスターまで!<第41回>浅草六区芸能伝|月刊浅草ウェブ
東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第41回>「深見千三郎・阿部昇二・町田金嶺」 前回(第40回)掲載した、昭和37年・熱海つるやホテルでの東洋興業社員・役者・芸人・踊り子総勢120人 […]
続きを読む浅草誌半世紀・名随筆の足跡<第2回・渋谷天外「蛇骨湯の路地」>|月刊浅草ウェブ
浅草で半年あまりゴロゴロしていたのが、関東大震災のその前年というのだから、話はだいぶお古い。 住いは蛇骨の横の路地のつきあたりの弁当屋の2階、6畳と4畳半の2間で、映画館の帝国館や大東京の学士連中と合わせて5人の同居生活 […]
続きを読む浅草誌半世紀・名随筆の足跡<6回・真鍋元之「観音経とカレーライス」>|月刊浅草ウェブ
知合いの出版社を出ると、その足で上野の広小路へまわっていった。久しぶりに鈴本か、本牧亭のどちらでもいい、のぞいてみるつもりだった。が、合憎なことに鈴本は開場までに、まだ一時間もあり、本牧亭はその日、休席である。仕方がない […]
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