ところが順風満帆の船出を切ったかに思えたその矢先、長年の無理がたたり脳梗塞に倒れてしまいます。右半身不随と言語障害。絶望に打ちひしがれ、一時は自殺まで考えたそうです。「人のため、浅草のためにって日々真面目に働いてきた俺が、どんな悪いことをしたってぇんだ、このクソ観音!」生まれて初めて、浅草寺の神様を恨みもしました。
そんな河野さんを救ったのは、たまたま目にしてしまった奥さんの手帳。そこには夫が倒れてからのやり場のない気持ちと愛情が、びっしりと綴られていたのです。“行くも地獄、戻るも地獄。同じ地獄なら、進もう。”
心の底からの涙が、溢れてきました。
「俺は何やってんだ。女房の方が、よっぽど偉いじゃないか…!」
一念発起し、翌日から店の看板メニュー、煮込みを作ることをリハビリとしました。調味料も道具も、左手から微動だにしない右手に無理やり持ち替えさせ、包丁を縛り付け、腰の力で食材を切る。以前は2時間で出来た仕込みが8時間にも及ぶ苦行となりましたが、辛抱強く、諦めずに繰り返すことでわずかづつでも日々進歩を見せ、数年後にはほぼ不自由がないまでに回復を遂げたのです。不屈の精神と家族の愛情が導いた、奇蹟の復活でした。
下積み時代の思い出を歌ったビートたけしさんの名曲「浅草キッド」の冒頭に、「捕鯨船」が登場します。お付き合いは、もう半世紀近く。「若い芸人たちに食わしてやって」と来店の度にお金を置いていったり、折に触れTVでさり気なく浅草を宣伝してくれる、心優しいたけしさん。河野さんの言葉の端々からは、お二人の絆の深さが、しっかりと伝わってきます。
浅草から大海へ漕ぎ出したたけしさんと、浅草を守りながら「捕鯨船」で航海を続ける河野さん。どちらも浅草を愛し、その発展に貢献したいと思う気持ちに、寸分変わりはありません。
第8回「したまちコメディ映画祭in台東」では、ついにたけしさんが凱旋出演!河野さんはオープニングセレモニーの盛り上げ役を快諾し、今までにない浅草らしさを前面に出した斬新なレッドカーペットの演出で、祭りに華を添えました。
「浅草は、うちの煮込みみたいにさ(笑)、何が入っているかわからない、謎の街。そして、温故知新の街なんだよね。古いモノの中にも、常に新しい何かを取り入れて発展してゆくの。この素晴らしい演芸の歴史と新旧人材を活かして、次回からはぜひ『したまち演芸祭』もやって欲しいね!」
形は変わっても、河野さんは芸(鯨)で浅草を幸せにする、 天性の浅草ゲイ人。この人がいれば、六区は、浅草は、きっと大丈夫。「俺が浅草だ!」を体現する名物船長は、そこはかとないエネルギーに満ちた、なんともチャーミングな方でした。
(「月刊浅草」編集人 高橋まい子)
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