夫妻が料理の道に入ったのは、今から半世紀以上年も前のこと。ガード下の小さな食堂からのスタートでした。まだコンビニもない時代、昼夜を問わず働き続ける同業者や近くにあった救急病院の職員らのために、夜通しおむすびを握り続けたこともあったといいます。
「より道という店名は、スナックと間違われることが多くてね、それがちょっと嫌だったの(笑)。でもね、この道は、私たちがお客様により添って、支えられて歩んでゆく道なんだ、と気づいてから、とてもいい名前だと思えるようになったのよ。」
と微笑むマサコさん。地道な努力と多くの方々の支えで、やがて千住駅前に念願の日本料理店を構えるまでになりました。バブル経済の波に乗り、店は繁盛。縁のあった浅草の土地に2店目として開業したのが、現在のより道です。千住と浅草、両方の店を忙しく切り盛りした時代を経て、最終的に浅草に根を下すこととなりました。
トレードマークともいえる水車には、お客様との大切な思い出が。ガード下時代の常連だった大きな家具店の社長さんから、千住店の開店祝いにとプレゼントされたそうです。
「その時社長さんは、『これ、絶対に止めるなよ。』っておっしゃったの。当時は深く考えなかったけど、随分後になってから、あぁ、あの時の言葉には、どんなことがあっても商売を止めるなよ、頑張れよ、という意味が込められていたんだな、と心に沁みて。」
大事に廻し続けてきたその水車も残念ながら老朽化してしまい、現在のものは2代目とのことですが、お客様との約束を守り、今日も美しい水音とともに店の歴史を刻んでいます。
この界隈も浅草らしい老舗が一つ、また一つと姿を消し、寂しい限りですが、明治・大正生まれの先輩方にかつて教わった何気ない言葉の数々が、歳を重ねた今の自分たちを日々助けてくれている、と感じるそうです。
「良い時代も悪い時代も経験し、辛抱も苦労も沢山あったけど、周りの方達やお客様に支えられ、ここまでやってこられました。この歳になれば、夜は早仕舞いして帰りたいと思うこともあるけど、やっぱり朝が来れば、早くお店に行きたくなる(笑)。こうして夫婦二人、なんとか元気で働けて、お客様がいらしてくれて、喜んで頂ければ、私たちにとってはお城のようなもの。先のことは全く決まっていないけれど、この幸せに感謝して、一日一日を大切に過ごしてゆきたいです。」
ここにはやはり、水車のリズムさながらの、ゆったりと穏やかな時間が流れているようです。美味しいお料理とともに、幸せな空気感を、ぜひ満喫して行って下さいね。
(「月刊浅草」編集人 高橋まい子)