第17回「今戸神社(いまどじんじゃ)」
今回は、招き猫発祥の地、縁結びの神様として知られる「今戸神社」を訪れ、宮司夫人・市野惠子さんにお話を伺いました。
まずは、今戸神社のご由緒について詳しくお聞かせ願えますか?との問いに、
「それは、もうインターネットや本にいくらでも載っているから、ざっとでいいんじゃないかな(笑)。それより今日は折角の機会だから、浅草のより良い未来について話さない?」
と、嬉しい提案をして下さいました。…それではお言葉に甘え、今戸神社のご紹介は控えめに(笑)、宮司夫人として日々、地域の方々や参拝者の声を聴く立場からの貴重なご意見、宜しくお願いいたします!
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今戸神社は、1063年、「今戸八幡」として創建。1937年、隣接の白山神社を合祀し、「今戸神社」と改称。関東大震災、東京大空襲での倒壊など幾多の災難に見舞われながら、その都度再建されています。長い歴史の中、地域の皆様に親しまれ、共に歩みつつ現在に至りますが、立地上、客足の面では恵まれない奥浅草において、今戸神社の維持・運営は苦労の歴史でもありました。幼心にもその大変さを肌で感じつつ育った惠子さん、いつか必ず今戸神社を有名にするんだ!という夢を、ずっと抱き続けてきたそうです。
大人になってその思いはなお一層強くなり、“氏子さまの大切なお金を極力使わずに、何とか自力運営を”と、必死に知恵を絞り、あらゆる努力と工夫を重ねてきました。その甲斐あって、ユニークな取り組みの数々は徐々に注目を集め出し、各種メディアでも頻繁に取り上げられ、今日では良縁を願い訪れる若者を中心に、国内外からの参拝客が後を絶ちません。
「今戸神社の発展と同時に浅草に貢献したいという気持ちが常にあったので、奥浅草まで足を運ぶお客様が増える結果にも繋がり、本当によかったと思います。今、浅草を良くしようと懸命に頑張っている若い方たちにも、私たちの例から何かを学び取って頂けたなら嬉しい限りです。」
卓抜なアイディアと行動力で無名だった今戸神社を大きく羽ばたかせた市野惠子さん。その根底には〈関わる人達全てが幸せになりますように〉という愛情と、共栄共存の精神を強く感じます。いまや今戸神社の代名詞ともいえる“神社婚活”「縁結び会」なども、その表れのひとつといえるでしょう。
「浅草は、これだけ飛躍できる要素がいっぱい詰まった街だから、本来全員が豊かに、幸せになれるはずだと思うの。常々思うのは、もっと、地元の方たちに日の目を見て欲しいということ。例えば「月刊浅草」でも、頑張ってる街の普通の人を取り上げたり、読者参加型の企画もあったら嬉しいよね。ご当地ソングなどを作ってみるるのも楽しそう。恒例の「浅草芸能大賞」にしても、それほど浅草に縁のない芸能人よりは、地元密着型の功労者に贈りたいわ(笑)!…小さな街なのだから、お互いを思い遣って仲良く、皆で真剣に知恵を絞ってゆけば、必ず素晴らしい未来になるはず!」
溢れるバイタリティーと、あたたかさ。市野惠子さんの言葉には、会う人皆をやる気にさせてしまう、不思議な力があるようです。よし、わたしも大好きなこの街に少しでも貢献できるよう、もっともっと頑張るぞ!と、身体の奥からそこはかとない力が湧き上がってきたのでした。
今戸神社、まさに“奥浅草のパワースポット”なり!
(「月刊浅草」編集人 高橋まい子)
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