第16回「多津美(たつみ)~とんかつ専門店~」
今回は、創業60年のとんかつ専門店、「多津美」。やわらかな口当たりと、さっぱりした軽い食後感。胃もたれとは無縁のヘルシーなとんかつは、創業以来変わらぬ独自の製法と素材にこだわり抜いた、上質な逸品です。
多津美の前身は、現在の店主、山田志津江さんの祖父が創業した料理屋。和食・洋食全般を手掛け、多くの従業員を抱える大店でしたが、戦争により焼失。戦後、とんかつ専門店として生まれ変わりました。
「婿養子だった父が戦死してしまったので、母が沼津でとんかつ店を営んでいた父の兄に指導を受けて始めたのが、現在の多津美です。戦前は多津巳だった店名も、ミの字を美に変え、新たなスタートを切りました。」
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母娘2代に渡り守る味には、女性ならではの感性が随所に活かされています。まず驚かされるのは、口に入れた時の優しい食感。揚げ物独特の、パン粉がカサカサと上あごに刺さるような感じがありません。これは、フライパンで表面をこんがりと焼いてからオーブンで蒸し焼きにするという、独特の調理法によるもの。こうすることで衣の色は濃くならずに中までしっかりと火が通り、口当たり良く仕上がるのだそうです。たっぷりの油で揚げるのに比べ、カロリーもぐっと控えめ。細かい工夫がさりげなく盛り込まれたこだわりのとんかつは、毎日でも食べられそうな、爽やかな美味しさ。茶碗蒸し付きなのも、嬉しいサービス!
国際通りに面した雷門一丁目交差点脇に店を構える多津美。立地上、その歴史は六区の変遷と共にあったと言っても過言ではありません。かの大宮デン助さんに出前を頼まれた当時の板前さんが自ら演芸場へ出向き、芝居見たさになかなか帰ってこなかった…なんて、愉快なエピソードも。
「私の若い頃は、六区がまだまだ元気だった時代。観劇や映画館帰りのお客様が大勢いらして、賑やかで。反面、いわゆるコワイ人たちも多かったから、女性店主ということで舐められはいけないと、母は必要以上にお客様と私的な接点を持たぬよう、気をつけていました。そんな母を真似て私も娘時代はあえて無愛想に振舞っていた部分があったから、当時のお客さんには、生意気なお姉ちゃんだと思われちゃってたかもね(笑)。」
気さくな笑顔が素敵な今の志津江さんからは想像もつきませんが、その笑顔の影には、女性経営者ゆえの人知れぬ苦労も多々あったことでしょう。
料理人=経営者というオーナーシェフの店ではないので、優れた料理人と出逢い、信頼関係を築いてゆくことは、何よりも大切。現在の板前・坂井重美さんは、4代目。15歳の頃から厨房に立つベテランです。志津江さんとの掛け合いは、まさにあ・うんの呼吸。
「この子とはもう、30年近い付き合い。腕も確かだし、とにかく真面目な職人肌。友達が来ても、1㎜たりともお肉を厚く切ったりしないのよ(笑)。」
と、目を細める志津江さん。今や立派に成長した坂井さんを、無意識に“この子“と言ってしまうあたり、仕事上のパートナーとしての確固たる信頼関係に加え、まるで本当の親子のような愛情が言葉の端々から感じられ、こんな二人の関係もまた、多津美の味の大切なエッセンスになっているのだな、と温かい気持ちになりました。
栃木産の良質な肉。オランダ産の高級な油。自家製のソース。どんなに時代が変わろうとも、素材を落とさず、製法も変えず、味一筋。創業以来60年、良い意味で頑固にその姿勢を貫き続ける多津美は、江戸っ子魂溢れる、いかにも浅草らしい店。くせになるさっぱりとんかつと、温かな雰囲気を味わいに、何度でも足をお運び下さいね!
(「月刊浅草」編集人 高橋まい子)
追記:残念ながら「多津美」は、多くのファンに惜しまれつつ閉店いたしました。
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