「元キックボクシング・スーパーフェザー級王者・石川直生」 こやたの見たり聞いたり<第27回>月刊浅草ウェブ

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元キックボクシング・スーパーフェザー級王者・石川直生

支え、支えられ、我が道を拓く

世の中のどれだけの人が、人生で命をかけた瞬間があるだろうか。
どれだけの人が、悪夢のようなどん底から這い上がった経験があるだろうか。今回は、絶えず立ち上がり続ける元キックボクシングのスーパーフェザー級チャンピョンの石川直生(いしかわなおき)さん(44)をご紹介したい。

幼少期の石川直生さんは、正義感あふれる強いヒーローに憧れ、アントニオ猪木さんやキン肉マンが大好きな子どもだった。
大のお母さんっ子で、お母さんが「直生は特別な人間なんだよ。何をやってもうまくいくよ」と言ってくれたから、いつだってそう信じて疑わなかった。常に明るく前向きで、純真な心を失わない少年のような石川さんの原点は、このお母さんの存在が大きい。
「強くなりたい」という気持ちを根底に持ちながら、中学時代は強豪の野球部に所属し、厳しい練習に明け暮れた。当時の将来の夢は野球選手になることだったが、狭き門である。K1がテレビ中継され、格闘技熱が高まっていた事もあり、中学3年の夏、部活動の引退をきっかけに、キックボクシングを始めた。
練習がキツいのは当たり前だから、苦しさはなかったという。着実に強くなっていくことが純粋に楽しかった。そして、19歳でプロデビュー、26歳の時にチャンピオンの座を獲得した。

試合は、勝つこともあれば負けることもある。
勝てば英雄、負ければ死を意識するくらいどん底に落ちる。自分の全てを賭けて命懸けで試合に挑むから、自分がリングに上がった試合は全て明確に記憶している。石川さんのプロ格闘家としての戦績は66戦37勝22敗7分。
他のチャンピョンに比べると敗戦が多いのだという。石川さんはこれをネガティブに捉えるのではなく、「22回どん底に落ちて、22回どん底から這い上がる経験ができた」と述べる。這い上がることのできる人間は強いし、どん底の辛さを知っているからこそ周囲にも優しく、人を大切にするのだろう。

がむしゃらに頑張っていたら、次第に人気も出てきて、最初はプロになることを反対していたお父さんも応援してくれるようになった。
仲間が増え、サポートしてくれて、環境も整い、これからますます順風満帆な選手人生を歩んでいくように思えた。しかし、29歳の時に最愛のお母さんが突然亡くなってしまう。
石川さんが日本での「試練の7番勝負」を戦うために、タイに武者修行に行っていた時だった。お姉さんから訃報の電話を受けて目の前が真っ暗になった。だが、試合の日は無慈悲にやってくる。とても大きな試練となった。つらい時、いつだって立ち上がるきっかけをくれたのは周囲の人々だった。

選手としてキャリアを重ねていくにつれて、頭(脳)へのダメージが蓄積し、それまで見えていたパンチが見えなくなったり、反応が遅くなったりするようになった。
自然と負け試合も多くなる。普通、負けが続くと周りの人が去っていくことが多いが、石川さんの周りの人たちは離れなかった。そういう人間関係を築いてきたという自負がある。 現在、石川さんは祖父の代からの家業を引き継ぎ、ワニ革を中心としたエキゾチックレザー製品の製造販売会社「株式会社イシカワ」(1961年創業、浅草花川戸1-10-11矢貝ビル3F)の4代目社長として、人生の第二幕を突き進んでいる。


定期的に無料講習会を開き、ワニ革の魅力を伝える活動もしている。価値をよく知った上で、「欲しい!」と思ってもらうことが目的だ。
次回は3月3日(日)11時〜である。ワニ革が高級品だとは知っているけれど、ほとんどの人がよく知らない。ワニの噛む力は最強と言われ、一度噛んだら離さないことから、ワニ革は金運や仕事運などを掴んで離さない縁起がいいものとされている。ぜひこれを機会にワニ革製品を手にとってみてほしい。
浅草は、人生を懸命に生き抜く人たちが集まる土地だとつくづく思う。まっすぐに生きる姿勢に胸が熱くなった。

【取材協力】

・CEBEC TOKYO HP
https://rio-de-piedra.com/

・石川直生さんのインスタグラム
https://www.instagram.com/naokickbouz418

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