第1回「東京新聞したまち支局」
*この記事は、「月刊浅草」2015年8月号に掲載されたものです。
まちは生き物。そこに暮らす人々と共に生き、日々成長しています。
今回は、浅草を拠点に下町の変遷をさり気なく見守り、その歴史を記録し続ける縁の下の力持ち「東京新聞 したまち支局」にお邪魔し、井上圭子支局長、丹治早智子記者(写真は丹治早智子記者)にお話を伺ってきました。
したまち支局は、より地域に密着した新聞づくりを目指し1987年に開局。東京新聞の前身である都新聞(明治~昭和にかけて東京を中心に刊行されていた、文化・芸能に明るい大衆紙)時代の下地もあり、地元の皆さんに温かく迎え入れて頂き、今日まで28年、地域と二人三脚で歩んできました。現在は台東・足立・荒川・江戸川・葛飾・北・墨田・文京の8区を管轄し、5人の局員で担当しています。
井上支局長は1991年の入社。いまだ男性社会の風潮が色濃く残る業界において、人一倍の地道な努力を厭わず、結婚・子育てをしながら多くの支局で記者としての経験を積み、2013年、晴れてしたまち支局長となりました。
「私の入社当時と現在では、下町エリアへの世間の注目度が全く違ってきていると、日々強く感じます。近年では、したまち支局の記事が一面を飾り、大きく扱われることも増えてきました。」
丹治記者は、したまち支局在籍20年。地域の暮らしに溶け込み、生活の息吹を肌で感じながら、下町を取材し続けてきました。
「この20年間の出来事で特に感慨深いのは、隅田川が整備され、とても身近になったことかな。私が赴任してきた頃は、川をきれいにしようという運動がいちばん盛り上がっていた時期だったから。隅田川テラスが完成し、スカイツリーも出来て。こんなに連日下町が話題に上るなんて、いまだかつてなかったことよ。」
お二人の実感どおり、経済活動や観光の流れなど社会情勢の影響を即座に受けて反映される下町は、ある意味日本一ホットなニュースの発信地と言っても過言ではありません。2020年には東京オリンピックも控え、社会部に属するしたまち支局の担う役割は、ますます高まってゆくことでしょう。