吉村先生の『吉原酔狂ぐらし』(三一書房・1990年)に、「酔狂連赤線忌」という項がある。
「戦前ならぬ線前の人間にとって、赤線の灯の消えた3月31日という日は、やはりなにかと感慨深い。春浅きこの日、かの赤線といえるものの容(かたち)失せたり・・・。」
「昭和43年の3月に、【線後十年ー赤線忌】というのを吉原で催した。」
主催したのは、当時直木賞受賞直後の新進売れっ子作家だった野坂昭如さんを中心に、気鋭の若手作家や編集者たちで結成した〝酔狂連〟なる道楽グループ。毎月のように集っては、主に落語ダネのバカバカしい趣向の会合を行い、一同ひたすら乱酔する、といったグループで、わたし(吉村)も世話人みたいな役割を仰せつかっていた。
「酔狂連は、メンバーの顔ぶれとそのバカバカしい行動から、やたら当時のマスコミに喧伝されたものだが、特に【赤線忌】挙行の頃は、まだ前年に発足させたばかりだったので、それぞれの遊興的情熱が昂揚していた時期だった。つまり、意味もないお遊びに、一同、風流じゃ、風流じゃ、と熱中していたわけなのだ。」
「たとえば、【寒詣り】と称して、白装束、手甲脚絆に草履ばき、という本格的衣装に身を包んだ一行(冒頭写真参照)が、手に手に団扇太鼓を持ち、浅草のストリップ劇場やら銀座の「ハリウッド」や「姫」の前でドンツク、ドンドンとやらかし、盛り場を練り歩く、といった按配だった。」
寒詣りの白装束をどこで仕度したのか、ちょっと興味があったので、吉村先生に聞いたら、三ノ輪の〝煮込みの中さと〟ということであった。忠臣蔵の討ち入りは「そば屋」の2階だが、中さとも営業時間中とのこと、お店の2階から白装束の一団が、突然舞い降りて来たはずだから、さぞかしびっくり仰天したことであろう。
道中合羽に三度笠、酔狂連の三羽烏の野坂昭如、田中小実昌、吉村平吉のお三方、ご機嫌である。
さて、何の会だったのであろうか。
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