
題名で数えれば、吉村先生の著作は以上の3冊だが、亡くなる二年前の平成15年(2003)筑摩書房のちくま文庫から、いも新たに『吉原酔狂ぐらし』が出版されている。この文庫本は、私にとっても思い出深いものがあるので、語り残しておきたい。
『浅草のみだおれ』の中の「どじょうあん庵死す」にこんな文章がある。
私ごとになるが、わたしが先ごろ上梓した『吉原酔狂ぐらし』という本の装丁を、実は滝田さんにやっていただく予定になっていたのだ。
わたしの電話での依頼に対し、『ーいいですね。吉原は、玉ノ井とはまた違った雰囲気でしたね。入院するかもしれませんが、ナニ、仕事は病院でもできますからね。』と、快諾してくださった。それが五月ごろのこと。
その後もう一度 話で打ち合せをして、病院のほうにお見舞いかたがたゲラ刷りなどを持参する段取りになっていた。
だが、奥さんと連絡をとったりしてぐずぐずしているうちに、お見舞いにも伺えないまま、8月末、滝田さんは亡くなってしまった。残念無念の感慨がわたしにはひとしおだった。
東武電車の旧玉ノ井駅近くの染みの大衆酒場で、滝田さんの先導で、どぜう地獄鍋を食べる会が催されたりしたものだ。
また旧日光街道ぞいの うなぎ屋〝尾花〞に、編集者たちと一緒にわたしが案内したことがあった。落語が好きだった滝田さんは、コツ(旧千住遊廊)のうなぎ屋で、どぜうがうなぎを食ってると喜んでいた。
葬儀は、国立の應善寺で行われた。