しかし、開場と同時にひとり、ふたりと客席が埋まって、何んと100名を超える方々がその大雨の中足を運んで下さったのだ。そして、無事「朗読・夢舞台」は、長い航海へと旅立ったのである。
その第1回目の会場に、オペラ歌手のKさんがいらしたのだ。彼女もあまりの雨に、一旦躊躇いはしたものの、チケットを用意して下さった知人への義理もあり、意を決して車のハンドルを握ったのだと、後で話してくれた。Kさんは自身が脚本をまとめた「蝶々夫人」の語り手を探しており、初めて聞いた私の「語り」に、〝この人だ⽑〟と直感、後の舞台「蝶々夫人」上演にと繋がったのである。
この大雨の日のスタートから年、毎年楽しみに待っていて下さる人々に支えられて、何んとか継続して来たが、昨年7月の10周年記念公演を最後に、私はこの舞台を去り後に続く若手に、その場を譲る決心を堅めたのである。そして私は裏方に廻り、企画と演出をする事に。
6月26日㈰、武道館での奥武山「大琉球神楽」を終えて、私はそのまゝ沖縄に留まり、南風原の小禄小学校、津嘉山小学校での読み聞かせを、そして豊見城中央図書館では、一般対象の講演会講師を務めながら、島の生活を楽しんでいた。
7月3日㈰、南国の太陽が朝から照りつける、暑い1日だった。
今回、新生⽥朗読・夢舞台⽦にご登場頂いたのは、可否の会〝沖縄教室〟から中村初子、〝東京教室〟からは内海夢子のご両名である。
我が師、三上左京が20年以上の歳月をかけて育てた〝沖縄教室〟には、常時20名位の生徒さんが、熱心に朗読を学んでおり、そろそろ一人歩き出来る人も何人か育っている。
中村さんもそのお一人、毎年私の舞台の陰アナを務めながら、勉強に精を出している。
今回の作品は、山本周五郎作「ゆうれい貸家」2年近くを掛けて育てており、進化した作品を改めて聞いていただこうと考えたのである。
東京教室も沖縄教室も、共通なのは作品がある程度仕上がった段階で「試演会」と云う名目で発表会を設けている。仲間だけではなく、友人知人に声を掛けて、第三者の目や耳を通して聞いて頂く、言わば出産の場に立ち合って貰うのである。「試演会」はゴールではなくスタートの場なのだ。生み出した子は、愛情を持って育てなければならないのは当然のこと、いい子に育つか、途中で横道に逸れるかは、偏に親の責任である。
中村さんの「ゆうれい貸家」も「試演会」を終えた後、サロン公演を重ねており、その都度好評を得ている作品だが、今回はそれを私の演出で少し動きを入れて膨らませて見た。衣裳もアンティークの凝ったものを身に付け、照明や音響の力も多いに借りて、楽しめる舞台を心掛けたのである。
東京から参加してくれた内海夢子さんは、かつて沖縄に住んでいた事もあり、琉球放送でパーソナリティーを務めた経験を持つ若手のホープ、私の長女と同い年と云う事もあって、何かと目を掛けその将来を期待している一人である。
昨年の9月、私が主催する公演「ふたりの部屋」にご登場いたゞき好評を博したのが、今回のテンブス館公演に繋がっている。名で満席と云う、小さな音楽ホールでの公演だったが、思いがけない観客の反応に、その時私の心が動いたのだった。
演目は、今人気のお笑い芸人、升野英知(バカリズム)作「来世不動産」と云う短編だったが、この日の観客層にピッタリの内容であり、その上にある種の問題提起を投げかけて、奥の深いものでもあった。小さいホールの中では時には爆笑の渦に、そして時には深刻に頷く老婦人の顔が……。〝来世〟は何に生れ変わるか……が、テーマの作品、人は勝手に来世があるなら人間に、と誰しもが考えているだろうが、そうは問屋が卸さないのがこの作品。もし人間になりたいのなら、今生で余程いい事をしてポイントを貯めておかないと、人間に生まれ変わるのは難しい……と云うのである。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に通ずるところが有る。生前の善行が来世に影響を及ぼすのである。
この作品の主人公は幼い時、近所のいじめられっ子の少女を、陰になり日向になりして助けてあげた。これは人として大きなポイントを稼ぐ要因で、その事は自身の中でも良く覚えていた。しかし、同じ頃、蟻の行列を踏み潰し、数百数千と云う命を奪っていたのだと云う。ここに善悪の意識は全く無く、残酷な行為をくり返していた事になるが、その事はすっかり忘れ去っていた事実であった。
人は都合のいい事だけを覚えていて、そうでない事は記憶の中から消し去っているようである。このあたりは何処かで自分にも当て嵌まり「ドキッ」とする。
〝ゆうれい〟と〝来世〟、共にあの世の話、作風は全く違うがテーマに共通性を見つけ、新生「朗読・夢舞台」で披露となったのである。
超満員の客席が、笑いの渦に包まれたのは云うまでも無い。
熊澤南水, 2016年