つれづれの記<第11回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ

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隅田河岸橋場通り、見上げれば橋場渓谷と呼ばれるマンション群。人影は寂しくも浅草への車の流れは忙せわしない……。
区の人口三分の一が住む北部地域はこれまで開発の手が入らず、交通不便も相俟って台東区のチベットと揶揄されることもあった。
だが歴史を遡れば、地元の確固たる姿勢が安易な開発に手を染めなかった姿が浮ぶ。

―江戸から明治の橋場河畔。大川(おおかわ)とも呼ばれる清らかな流れに都どり、葦がそよぎ対岸は白ひげ水神牛島の森。芝居の舞台か江戸名所百景の世界であった。
やがて華族や功成り名遂げた人、明治政府の中枢を担う有力者の別荘地として顕著なものになる。明治六年春、元勲・三條実美公が「対鷗荘」を構えた。(現・白鬚橋袂)ところが間もなく病いに倒れ邸に籠もる。議会は政治の混乱と空白が生じ木戸孝充は苦慮する。病を押しても政界に戻って欲しいと画策した。
十二月十九日午前、明治天皇直々じきじきになる病気見舞「橋場対鷗荘行幸」が行われた。
『汝實美久ク病ニ罹ル。朕甚夕之ヲ憂フ……』
三條は我が身への恩情に、感涙ただただ忠誠を誓うのみであった。
対鷗荘を後にされた天皇は、松平春嶽(まつだいらしゅんがく:旧越前福井藩三十二万石)邸にお成り、鯉の昼饌にて小憩。『見わたせば波の花よる隅田川ふゆのけしきもこころありけり』と詠まれた。
更に二時頃、伊達宗城(だて むねなり :旧・宇和島十万石)邸にも立寄られ、献上の桜餅に御感を得られ『いつ見てもあかぬ景色は隅田川なみちの花は冬も咲きつつ』恙無く橋場を後にされた。
翌日早々、意気揚々と三條が出廷したから木戸は驚いたのなんの…虚々実々橋場の怪、見立ては「深謀遠慮症」、特効薬は「天皇」、大向こうをうならす舞台となった。

―江戸時代、久留米二十一万石の藩主、有馬頼萬(よりつむ)伯ー頼寧(よりやす)伯の屋敷は一万坪近く、大川に沿った船遊びの桟橋は船頭を抱え、有馬河岸と呼ばれていた。家督を継ぐことになる頼寧(一八八四~一九五七)は日本橋蠣殻町に生まれた。屋敷が延焼による火災で橋場の別邸にて少年期を過ごすことになった。家従、女中、馬丁や車夫も控える邸内。下町の機微。浅草時代の一行(くだ)り……。

―十歳にもならぬ私に車夫が「若様、今日は浅草にしましょうか? それとも吉原に向いましょうか?」、知らぬ人が聞いたら放蕩旦那の与太話であろう。
そもそも学習院初等科の分校が上野・屏風坂を上ったところにあるから(現・科学博物館辺り)上野公園に向うには二つの道が控えている。大体私の邸が不思議な場所にあって、門を出て真直ぐ西に向うと(現アサヒ会通り)吉原堤大門に出ます。「若様、ここは吉原ですが何があるかご存知ですか?」などとつまらぬ話を聞かせるので、子供心にも耳年増の仲間入りをする。
力車は堤を横切って吉原遊廓を右に御歯黒溝(おはぐろどぶ)に沿って竜泉大音寺通りを抜け、下谷の坂本に出て根岸に入り、鴬谷の新坂を上って上野公園に入るのです。
もう一つの道は門を左に橋場通りから今戸橋を渡ります。花川戸から右に曲って浅草公園に入ると六区の裏を抜け、合羽橋を渡り万年町を経て下谷の坂本に出て、急な屏風坂を上って上野公園に入るのです。
私の家の門から直ぐの道は、総泉寺という寺に入る道でもあります。総泉寺の坊主が吉原にひそかに通うために小道が出来、それが後にはちゃんとした道路になったのです。道の両側に老松が点々と残っていたのは、昔総泉寺への特別な道であった証拠であろうと思います。総泉寺の入口に大きな石の地蔵がありまして、俗に「化地蔵」と呼んでいました。白井権八がここで人を殺害したとき、地蔵様に向って「どうか人に言わないでください」というたら、地蔵様が「おれは言わぬがわれ言うな」と答えたとか、後に権八自身が白状して罰せられたと言い伝えています。地蔵様は大きな笠を冠り、上向きになっているときはお天気になり、前のめりに冠っているときは雨が降るのだといわれていました。

―少年時代、純粋な心がとらえた庶民の現状、労働者、農民、被差別部落、直感的な鋭さに使命感が芽生えて行く後年、第一次近衛内閣で農林大臣など要職を歴任するが、貧しい人々との触れ合いを旨とし、農民運動や働く人の夜学校。物質的救済よりも精神的救済を柱とする「信愛労働学校」を邸内に創設するなど篤志家の姿勢は、華冑界(かちゅうかい)の稀なる人と呼ばれた。

―華やかな歴史を刻んだ橋場河岸であったが、大正12年の大震災で壊滅的被害を受けた。
寄せては返す今日の波、時代を映すコンクリート河岸である。

(田中けんじ, 2016年)

田中憲治 デザイン事務所「レタスト」http://www.letterst.jp/profile/index.html

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